映画と竹本家

斎藤 智美

【目次】

嵐寛寿郎と竹本家

テレビはおバァはんの家にあるが、チエが、そのテレビで観た番組は百合根が映っていたニュースや、店を贔屓にしている関取が登場する相撲中継の2種類しかなく、そのテレビでアニメやドラマ、クイズ番組などを観たことはない。(18巻7話、29巻2話)

家族でテレビをよく観るのはおジィはん。楽しみにしている番組は「水戸黄門」。しかも関西弁に吹き替えられた水戸黄門である。水戸黄門が放送される時間は店があるので、昼間の再放送を観ている。(18巻7話)

ちなみに関西地方で「水戸黄門」は毎日放送が放送している。

菊は、あまりテレビを観ない。特に昼間のワイドショーは「妻を働かし、バクチに狂う無職の夫。地獄の毎日を再現」「息子だけをかわいがる母。息子の妻は涙の毎日」といった、竹本家にとって強烈な話題ばかりを放送しているので「体に悪いから」観ないそうだ。(30巻1話)

菊が唯一、楽しみにしているテレビ番組は、1年の仕事を終えて、スカッとした気分で観る、大晦日の「紅白歌合戦」ならぬ「赤白歌合戦」ぐらいである。(24巻5話)

もっぱら、竹本家はテレビよりも映画に娯楽の拠り所を求めている。なぜなら、菊の家には映画館の看板が設置してあり、つねに謝礼の映画のタダ券が手に入る。(14巻10話)この映画館は「西萩映劇」という名前なのだが上映プログラムは洋画以外ならなんでもやっている。ジャンルもヤクザ映画、子供向けの映画、怪談モノ、成人映画と幅が広い。特に2本立て映画の場合は、家族連れを狙ってなのか、ヤクザ映画と子供映画の組合せで上映することもある。(59巻10話、16巻10話、44巻2話、54巻1話、30巻1話)

竹本家と映画の付き合いは、かなり昔からあった。菊は嵐寛寿郎のファンだ。特に『鞍馬天狗』シリーズがお気にいりなのだ。(28巻5話)

『鞍馬天狗』シリーズは1928年7月に第1作が上映されて以来、1954年まで、23作品に嵐寛寿郎が主役「鞍馬天狗」役を演じた。舞台は幕末の頃、鞍馬天狗は常に黒覆面をしており倒幕派・勤皇の志士の仲間で新選組と常に対抗する立場なのだが、鞍馬天狗はこの2派の抗争よりも、2派の抗争のウラで起こる不正を暴きそのトラブルに巻き込まれる庶民や子供を救うという正義の味方の役回りとなっている。

特に杉作という子供は、よく鞍馬天狗に助けられている。名ゼリフ「杉作、日本の夜明けは近い」は、この映画から生まれた。

「テツ生まれたとき、杉作ゆう名前つけよかとも思たんでっさかい」

菊の若い頃は、かなりミーハーだったことがわかる。もしかすると、テツが「杉作」という名前をつけられていたら、テツの人生も少しは変わっていたかも知れない。

しかし「杉作」になりそこねたテツにも「鞍馬天狗」の影響が、ちゃんと出てきている。テツは夢の中で映画『鞍馬天狗』を観ていたり、テツが悪役になり、百合根、ミツルが扮する新選組、カルメラ兄弟扮する勤皇の志士にやっつけられそうになったりしているのだ。(35巻1話、42巻3話)

さらにテツは「時代錯誤」を表現するのに「アラカンが鞍馬天狗で、今でも馬乗って新選組とケンカしてる」という言い方をすることがあり、テツの多感な少年時代、菊とよく『鞍馬天狗』を観にいったことが伺える。(34巻3話)

映画との付き合い方

菊はテツが鑑別所に入っていた時期は嵐寛寿郎よりも高田高吉の追っ掛けをしていた。しかも、ミツルの母タカと一緒に、高田高吉のワイシャツをちぎって喜んでいたという。

テツが鑑別所に入っていたのは小学6年の頃なので、年代に置き換えれば、菊が高田高吉のファンに転向したのは1953年ごろと推定される。1954年に嵐寛寿郎の『鞍馬天狗』シリーズが終るので、ちょうど時期的にも移り気になりそうな頃である。(15巻1話)

ところが、高田高吉は戦前、時代劇映画で活躍した人気俳優である。その人気は1930年代にピークを迎え、時代劇映画の人気も陰りはじめた1950年代はあまり映画にも出演していない。1950年に同じ時代劇俳優の市川右太衛門と共に、現代劇のギャング映画『戦慄』に主演しているぐらいである。高田高吉の人気だけを考えれば、菊がファンになったころは、かなり時代遅れの時期にさしかかっている。

映画俳優ではないが、菊やテツの口から最も多く登場する映画スターが、もうひとりいる。それは「ゴジラ」である。

ちょうど1954年、嵐寛寿郎の鞍馬天狗シリーズが終った頃と入れ替わるようにして『ゴジラ』の第1作が封切となった。ゴジラは核実験の放射能汚染の影響により突然変異で発生した怪獣である。これまで竹本家が観てきた映画のジャンルとは異質である。

何しろ時代劇のように勧善懲悪がハッキリとわかる映画ではなく、ゴジラは悪役だったり、正義の味方だったり、シリーズによって立場が変わる。

テツが未だ元気な菊を見て「ゴジラみたいな奴やなぁ。死んだと思て安心したら、急に元気になって、あばれ出しよるもんなぁ」という比喩をしているように『ゴジラ』シリーズは紆余曲折を経て1995年まで続いた。(27巻1話)

菊もテツのことをゴジラと比喩していることがあるが、このとき、テツは菊に「アンギラス」と呼んでいる。(16巻12話)

『ゴジラ』は落ち目の高田高吉に飽きた菊と中学生のテツが頻繁に観ていた映画であることはこれで明白だろう。

その一方、将来、竹本家と関わってしまうレイモンド飛田は、竹本親子がミーハーな映画にうつつをぬかしていた頃『蟹工船』という地味な映画を観て、涙を流していた。

『蟹工船』は戦前、警察の拷問によって殺された小説家・小林多喜二の小説を1953年9月に映画化。タラバガニ漁の蟹工船の中で劣悪な労働を強いられていた船員が、一致団結して労働組合を組織し、労働条件の改善を求めていくストーリーなのだが、この映画で感動したわりには、チエのことを「赤貧チルドレン」「貧乏人」などとこきおろしたり秘書に自分のことを「会長」とか「オーナー」などと呼ばせている。(13巻7話)

なぜか小鉄とジュニアも『蟹工船』を知っている。(22巻11話)

小鉄は今の年齢について「人間のトシでいったら、まだチエちゃんとチョボチョボ」と言っており、人間の物差しでは、まだチエと同じぐらいしか生きていない。猫の寿命は10~15年が平均とされるから『蟹工船』を知っていること自体おかしいのである。

『蟹工船』と同じ頃に上映された田中絹代監督主演の『恋文』(丹羽文雄原作)のワンシーンも知っている。ただ『蟹工船』も『恋文』も原作は小説なので本を読んだという説もあるが、小鉄もジュニアも漢字は読めないので、この説はありえない。(11巻10話)

ヨシ江とチエと市川雷蔵

小鉄とジュニアもさることながら、1967年生まれのチエも、年代からして知らないはずの映画を知っていたりする。

小鉄が初めてチエの家に来たとき、チエは小鉄の名前を考えていた。小鉄に決まるまでに額の三日月の傷から「さおとめもんどのすけ」という案があった。(1巻5話)

早乙女主水之介とは、映画『旗本退屈男』の主役。旗本という身分でありながらも、豪快に悪者を叩き斬る主水之介(市川右太衛門)に人気が出て1927~65年まで、なんと40作品が制作された。主水之介の特徴は額の向こう傷。小鉄のような三日月ではなく、月齢27日目ぐらいの細い下弦の月のような傷がある。それに派手な衣装が特徴である。

そして『眠狂四郎』シリーズ。こちらは1963年から69年に市川雷蔵主演で制作された時代劇である。しかし、チエはこの映画に出ている市川雷蔵を、こう批評している。

「ウチは好かんなぁ。あの人、すぐ、女の人に、やらしいことするもん」

シリーズの題名を見るだけでも、チエが指摘したとおり「やらしい」のである。たとえば『眠狂四郎魔性の肌』(67年)、『眠狂四郎女地獄』(68年)、『眠狂四郎悪女狩り』(69年)など。また67年の『眠狂四郎女妖剣』あたりから女性の全裸シーンが登場する。

映画の『旗本退屈男』や『眠狂四郎』シリーズは、今でも大阪でも受信できる兵庫県のローカルテレビ局・サンテレビでときどき放送されているので、チエでも見ようと思えば見ることはできるのであるが(この記述を書くにあたって、これらの放送を、わたしはかなり参考にした)チエの家にはテレビがない。

実は『眠狂四郎』はテツが映画館へチエを連れていっているのである。おそらく『旗本退屈男』も、たぶん、そうだろう。チエの家の近所の映画館は、ときどき「大会」と称して古い映画をかけることがあるようだ。(2巻2話)

ただし、菊の口からこれらの映画の話題や市川雷蔵の名前は全く登場していないので、テツが個人的な嗜好で観にいった作品だろう。

しかし、テツはチエに成人映画を観せないように配慮しているのに、なぜ「やらしい」シーンが登場する『眠狂四郎』をチエと一緒に観にいったのだろうか。(30巻1話)

それは、ヨシ江が市川雷蔵のファンだからである。詳しくは語られないが、ヨシ江とテツは結婚前、デートでよく市川雷蔵の映画を観にいっていたと考えられる。今でも市川雷蔵の映画を通してヨシ江との思い出を回想していたと思われる。

いっぽう、ヨシ江が観た市川雷蔵主演の映画は『炎上』である。

金閣寺は1950年7月2日に放火によって全焼。建物はおろか、中にあった国宝「足利義満座像」も焼失した。放火犯人は大谷大学1年生で金閣寺(鹿苑寺)の門弟だった。犯人は日頃から自分に身体的コンプレックスを感じていた。金閣寺を見るたびに金閣寺の派手さと自分を比較し、自分を卑下するようになった。そして、その金閣寺を燃やして自分も死のうと考え、放火したという。

この門弟の苦しみから犯行までの経緯を三島由紀夫が『金閣寺』というノンフィクション作品にまとめ、それを1958年に映画監督・市川崑によって『炎上』と改題して映画化した。ところで猫のアントニオは猫仲間から「世之介」と呼ばれていたが、これは井原西鶴の『好色一代男』の主人公。実は1961年に市川雷蔵主演で映画化されている。

テツと映画

授業をさぼって、補導されるぐらいテツは子供の頃から映画好きである。(14巻7話)

ヤクザが、なかなか見つからないので、テツはヤクザ寄せの変装して、ヤクザをどつくことを思いついた。そのとき、変装の手伝いをさせられそうになったカルメラ兄弟に、こう説明している。

テツ「おまえら、片岡千恵蔵の映画、見たことないんか」
菊崎「タ…タラオバンナイやったら知ってるけど」(18巻4話)

片岡千恵蔵主演の映画『多羅尾伴内』シリーズは1960年代の探偵映画。7つの顔を持ち、ピストルを持つ探偵が、この多羅尾伴内である。

テツが西萩派出所を占拠したときミツルに「ある時は近所のポリコマン、またある時は宿屋の客引き、そして、その実体は丸山君の後援会長さん」と言うフレーズの原典も、片岡千恵蔵扮する多羅尾伴内の決めぜりふである。この後、ミツルの部下の制服を着ていたテツが、その部下に制服を返すとき「(凶悪犯に)制服は貸しても、鉄砲は貸すなよ」と言っているのも、多羅尾伴内がピストルを持っていた関連からであろう。(41巻4話)

『鞍馬天狗』『ゴジラ』『旗本退屈男』『眠狂四郎』『多羅尾伴内』…数々の大衆娯楽映画を観賞してきたが、これらの映画に共通するのはストーリーよりも主人公の派手さが際立つ。しかし、テツが一番、面白かった映画は、こういった派手な映画ではない。しかもストーリー重視で映画を見たためかその題名や俳優の名前を覚えていなかったりする。「映画は、男同志でケンカしてるのが一番おもろいんや。ワシが今まで見た映画では、無職の男七人とヤクザ(野盗)が大ゲンカするやつが一番おもろかったなぁ。最後は無職の男が勝つんや」

7人の「無職の男」のうち1人はテツに似た俳優がいるそうだが、テツは「あいつが一番ええ奴なんや。ワシあいつの出る映画は、ほとんど見とるんやで」と豪語している。「堅気屋倶楽部」に寄せられた情報によると、この映画は黒澤明監督の名作『七人の侍』で、テツが陶酔している俳優とは三船俊郎なのだそうだ(はるきセンセは黒澤映画のファンでもあり、代表作『用心棒』のパロディーとして『どらン猫小鉄』を書き上げています)。

ちなみに1980年に『じゃりン子チエ』の映画上演権をめぐって映画会社、テレビ局など12社が争奪戦を繰り広げたことがあった。結局アニメ映画に落ち着くことになるのだが、その争奪戦の中で、ある映画会社は実写版の企画を提案し、その中で、テツ役に菅原文太を起用する予定だったらしい。

ところで、好きな映画もあれば嫌いな映画もある。3巻5話のトビラでテツはアンケートの「きらいなもの」に「外人の映画」をあげている。その理由は、テツの国語力が察すると字幕スーパーを読むのが嫌いだからだろう。しかし、テツは少なくとも外人の映画を1本は見ているのだ。テツが「時代錯誤」と言いたいところを、こんな表現を使っているところから、その映画を推測することができる。

「今でもジョン・ウェインがアパッチとケンカしてると思とるんや」

これは1948年封切のアメリカの西部劇映画『アハッチ砦』のことである。テツは7歳のころの映画であるが、いくら普通の子供でも耳慣れない外国の映画俳優の名前が覚えられるはずがない。おそらく、大人になってから西萩映劇のタダ券でヒマつぶしに見た映画なのだろう。この映画がキッカケで外人の映画が嫌いになったと思われる。

外国映画といえば、本編原作に唯一パロディーの手法が用いられた話がある。それは29巻5~8話。アメリカ映画『白鯨』(原作はアメリカ小説)のパロディーである。



Tweet このエントリーをはてなブックマークに追加

LastUpdate 2001/8/15
© 1993-2020 関西じゃりン子チエ研究会 All Rights Reserved.