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■完結で、わかったこと、わからなかったこと… 執筆:菊地馨
★歳を取り始めた西萩地区の人たち
「じゃりン子チエ」67巻  60巻を超えたあたりから、ストーリーがパワーダウンしつつあったことは、深読みしているファンなら薄々感じていたのではないだろうか。
 たとえば花井拳骨やテツが「プレゼント」とはいえ人間ドックに通ったり、テツが殴られてノバされたり、小鉄がやたらと「歳」を強調したり…
 パワーダウンという言葉が不適切だとすれば「登場人物が歳を取り始めた」と言い換えたほうが聞こえがいいのかもしれない。
 それらの事実は、近いうちに、この日が来ることの前兆だったのだろうか。
 97年8月5日発売の「漫画アクション」、同年11月12日発売の67巻を最後に、私たちはリアルタイムの西萩地区を垣間見ることができなくなった。
 年齢といえば、世界で初めて、竹本テツやヨシ江、菊の年齢を解読したわれわれ研究陣の努力もむなしく「おジィはん」の本名、年齢(あるいはヒント)は、原作では全く明らかにされなかった。強引な解釈ができる材料すら見あたらない。
「テツを信用したれ」が口癖で、いつもテツのパトロン的な存在として重要人物だっただけに、物語完結を迎え、研究会内に中途半端なむなしさが残った。(ヨシ江の年齢はコミック研究本「じゃりン子チエの秘密」120頁を参照してください)
 ところで最終話(67部)は、かなり前から、予め用意されていたのではないかと感じた。
 少なくとも3、4年前に完成されていたように思われるのである。詳しくは書かないが、67巻の単行本最終ページではるき悦巳先生は、書き続ける中で「最終回を書くときの気持ちを想像してみることもありました」(67巻205頁)とあることからも、そう思うのである。
 また、この一文から、はるき先生は「じゃりン子チエ」の登場人物が一人歩きし、積み重ねてきた歴史の重圧にプレッシャーらしきものを感じていたようにも感じられた。
 それは、原作者が想定しなかった設定を私たちが勝手に解読(解釈)し、それを1冊の本にまとめ、全国の書店で発売する・・といった「暴挙」も、ある意味では「じゃりン子チエ」連載完結を早めたのではないか…もしそうだとすれば、研究会にも、その責任の一端があったかもしれない。

★最終話に登場しなかった人たち
 ストーリーは、まだ最終話を読んでいない人のために、詳しくは書かないが、レギュラー、準レギュラークラスが総登場する。
 それは、まるでカーテンコールのようであり、また、月並みの終わり方なのだが、(終わり方だけについてのことで、ストーリーが月並みと言っているのではない)この人が出てくるのに、なぜ、あの人が出てこないの・・・という不満も読者として多々あったのではないだろうか。
 出ても良さそうなのに、最終話に顔も出さなかった人物を列記すると…
 遊興倶楽部4人組、勘九郎、釜地捨丸、丸山タカ、丸山ノブ子、丸山正雄、花井アキラ、周…
 特に丸山正雄は、存在は知られているのに、全巻通して一度も登場しなかった謎の人物である。(「誰それ」と思っているあなたは、もういちど単行本全巻を読み返すように!!)
 丸山ノブ子も、準レギュラーといえる登場人物であり、67巻のストーリーで主役になっている恵子、良子とも親しい。表面的にはわからないが、主婦同士、喫茶店などで喋りあっていそうな間柄である。(54巻196頁以降を参照のこと)
 ところで「あいつら」が最終巻で出てくるのに、遊興倶楽部4人組が出てこないのは、不思議である。
 67巻の物語展開を考えれば恵子、良子の父親も少しばかり登場してもよさそうである。(お丸さんが登場しているにも関わらず…)
 ただ釜地捨丸、勘九郎、周にいたっては、最終巻のストーリー展開で登場できる場がなかったのも事実である。
 しかし、こう考えると技術論になり、本来の研究分野とは異なる領域になるので、研究会では、一部の人物について、登場しなかった理由を考えてみたい。
勘九郎、遊興倶楽部4人組
まじめに更生し、仕事が忙しく登場できなかった。
登場しなかったからこそ、彼らは「じゃりン子チエ」の展開において、彼らの目的を達したと考えられる。

67巻における恵子、良子の体調のことで裏方に徹していた。

丸山タカ、ノブ子
実は、ノブ子に第2子出産の前兆があり、大事をとって、最終話には登場しなかった。正雄も当然、出る幕はない。
もし「じゃりン子チエ」が続いていたとすれば、丸山家でも何らかの展開があったと思われるが、ストーリーが67巻と重なるので、登場させなかった・・・のかも知れない。(「じゃりン子チエ」を最終回に追いやった原因かも…)

花井アキラ
わ・わからん。花井家の大人が全員「チエちゃん」に集まっているのに、彼が登場しないのは謎…というより理不尽である。

★20年目の春、チエは進級した?
 冒頭に西萩地区の人たちが歳を取り始めたと書いた。
 カルメラ兄弟の夫婦生活の進み具合からしても、確実に時は流れ、みんな歳を取り始めている。
 67巻、桜の季節、新学期が始まってからのスタートである。
 これが今までだと「チエは今年、何年生になるのか」という質問がテツやジュニアの口からこぼれてくる。出てこなくてもチエ自身の口から
「新学期が始まったら、ウチ5年生やで」(61巻1話)
 と宣言する場合もある。
 長編漫画の常套手段である。磯野カツオだって野比のび太だって何十年も5年生である。
 ただ「じゃりン子チエ」は、長谷川町子や藤子・F・不二雄のようにこの話題に触れないことで進級させないという姑息で、読者を騙すようなことはしなかった。
 誰かが、将来を真剣に憂うのだ。
 その象徴的シーンが次の話である。
マサル「新学期始まって、もし、六年生になってたら、どおするねん」
タカシ「エッ?!」
マサル「六年になったら、すぐ中学やど。ほんならオレなんか受験で毎日、忙しなって、おまえとかチエの相手してるヒマなくなってしまう。オレのそおゆう、息抜きのない将来、どおしてくれるねん」
 結局、マサルは春休み明けの最初の登校日、教室の「5年2組」の看板を見て、先生にすがりつき、涙を流して感動していた。(64巻1~3話)
 時系列からして最終話の1年前の話である。ある意味では、ここから単行本を読めば、竹本チエの真の5年生生活を見ることができるのだ。
 そして67巻、今まで春になると、必ずといっていいほど誰かが触れていた「進級」の話題は消えた。
 また、いつの頃からか、マサルの口から、かつてのような、チエの悪口が一言も出なくなった。
 その事実はチエも次のように認めている。
「マサル、最近調子落ちてるんとちゃうか」(66巻2話)
 これは、マサルが1年前に予測した「息抜きのない将来」が到来しつつあったことを意味している。
 夏休み、マサルは母親に連れられ、映画に行こうとしていたのは、母親が考えた「受験勉強」の息抜きだったのかも知れない。
 そして、最後のクライマックスにあたる記念写真に、カルメラ兄弟の話題とは全く関係のないヒラメの母親やマルタも入っていることから、カルメラ家の幸せに加えて、チエたちの進級も祝っての記念写真だ…と考えられないだろうか。

チエは小学校6年生に進級したと同時に「じゃりン子チエ」を卒業した…。


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