【目次】
物語の表舞台に、小林マサルの父親が姿を見せたことはない。わずかに息子マサルや周囲の人物の語るところによる、いくつかのわずかなエピソードの中に、その姿を留めているにすぎない。その名前からしてまったく不明で、物語中きっての謎の人物といってもいいだろう。
ある日マサルが、家に迷い込んできたタヌキを家で飼いたい、と父親に願い出たことがあった。結果としてマサルの願いは受け入れられ、飼い主が見つかるまで、という条件のもとでマサルはそのタヌキを飼うことになったのだが(*1)、このなにげないエピソードの中に、マサルの父親の人物像を解き明かすカギとなるものがある。
マサルがタヌキを家で飼おうとしたとき、一番のネックとなるのは動物嫌いだというマサルの母親だった。そこでマサルは一計を案じ、最初は母親に対してタヌキの存在を隠し、わざわざ出張で家を空けていた父親が帰るのを待って、そして両親がそろったところではじめて、タヌキを家で飼いたいと切り出したのだ。
ここでマサルが期待したのは、理解ある父親、という点もさることながら、何より母親を抑えることが出来る唯一の存在としての父親、という点だったのではないだろうか。というのも、マサルの話からすると、ハワイ行きの場面(*2)で、料理コンテストの場面(*3)で、カルメラ亭100円サービスの場面(*4)で、マサルの母親の理不尽な態度に対して、マサルの父親は真っ向から立ち向かっているようなのだ。あのテツや菊、ヨシ江さえも正面きって対抗できない相手に対してである。
物語中で最強の人物は実はマサルの母親ではないか、とも思える場面がいくつもあるにもかかわらず、ただ対抗するだけではなく、マサルが小学校の料理コンテストで高価なエビを使おうとしたところ、「馬鹿げている」といってエビを取り上げてしまったり、最初に挙げたエピソードでは、マサルの母親が散々拒否するのを尻目に、それをほとんど無視するような形でマサルがタヌキを飼うことを了承している。
意外や意外、小林家の最終決定権はマサルの母親や、ましてやマサルにではなく、マサルの父親にあるようなのだ。
そのくせ洗い物をして家事を手伝うこともしているのだから(*5)、実は物語中で、最も理想的な、威厳と思いやりを兼ね備えた父親像を持っているのは、マサルの父親なのではないだろうか。マサルは水仕事を手伝う父親を決してよくは思ってはいないようだが、奥方に頭の上がらない西萩の男どもの中において、特に目立って父権を持つ彼は注目に値する。
そして、見栄っ張りで、上昇志向の強いマサルの母親に見初められたくらいだから、相当なエリートコースを歩んできたとも想像できるし、東京本社に栄転が決まるほどのやり手でもある(*6)。しかしなによりあの嫁をもらって、少なくとも十年以上やってこれている点においてだけでも、相当な大人物であることが想像できる。
ただ、さすがのマサルの父親も、自分の目の届かぬところでの妻の言動はいかんともしがたいらしく、「これからは女の時代や」と息子にもらしていた(*7)ことも付け加えておく。
テストの点数がよくて運動はかっらっきし駄目という、一見ガリ勉タイプの典型のような役回りである割に、マサルは意外と対人間の位置に生きているように思う。
もし仮にマサルが勉強第一で、人間関係はどうでもいいというような人間であったならば、勉強ではまるで相手にならないチエやヒラメ、タカシなど相手にする方が不思議ではないか。米谷里子を相手にテストの点を争っている(*8)方がはるかに“らしい”ではないか。
そんなマサルは、決して勉強でトップになって、父親のようにエリートコースを進むことが目標ではないように思う。
母親の「マサルにコンプレックスを持たすものが居れば、かえってマサルのはげみに」なるという教育理念(*9)のもとで育てられた影響もあるのであろう。マサルはあらゆる相手に対して、常に優位に立ちたいという意識を潜在下に持っているようだ。簡単にいえば、マサルは負けず嫌いのようなのだ。
物語ではたびたび学級委員選挙の場面が登場し、そこで常に学級委員に選出されているマサルにスポットライトが当てられる。誰もが承知していると思うが、特に小学生の学級委員というものは、決して勉強が一番できる者がやるものではない。それに勉強第一の人間であったならば、そんな面倒くさいことはやりたがらないのではないだろうか。マサルが学級委員にこだわるのは、クラスのトップという地位もさる事ながら、学級委員選のライバル、余所見の存在がかなり大きいのではないだろうか。
普段は頭角を現わさない意外な人気者の“余所見”という、強烈なライバルがいるからこそ、マサルはあれほどまでの執念をみせるのではないか。マサルにとっては学級委員になることが重要なのではなく、他の者に競り勝って、学級委員を勝ち取るということが大事なのだろう。
マサルの転校騒ぎ(*6)があって、戦わずして学級委員の座を余所見に明け渡したとき、テツやコケザルが“学級委員になれなかった”という事実だけを知ったと勘違いしたマサルは、他では見せたことのないような強烈な怒りを見せたのだ。マサルにとっては他人に負けたと思われることが一番耐え難いことなのだろう。
そんな負けず嫌いの気質ゆえに、学校という勉強することを主体とした、それこそクラスの全員がライバルたりうる場において、結果としてマサルはいわゆるガリ勉のようなタイプの人間になったのではないか、とするのは考えすぎだろうか。
というのも、意外にマサルはやればなんでもできるタイプの人間だからだ。勉強で常にトップであり続けるかと思いきや、府の作文のコンクールで銅賞を取ったり(*10)、絵画教室に通い始めていきなり府の絵画コンクールで銀賞をとったり(*11)している。
そしてそれは人並みはずれた努力家という一面がなせる業なのだ。なにかと徹夜してまで物事に打ち込む姿勢や、苦手な運動もはじめから無理とあきらめたりせずに、マラソン(*12)の、鉄棒(*13)の、飛び箱(*14)の特訓をするマサルの姿が、物語中何回も登場する。
へ理屈をこねるだけで、なんの手も打たずに、楽な方向へ、楽な方向へという彼の姿は決して見ることはできない。
相手がいれば、さらにその相手が強力であればあるほど、闘志を燃やすマサルの姿がある。さらに、自分より何か一つでも秀でたものがある相手に対しては、徹底的に対抗心を燃やす。その方法は必ずしも正当な競争ではなくとも構わないようで、ここがマサルのマサルらしさのゆえんであるが、自分の才能で補えないものに関してはどんな手を使っても、さらには論点をすりかえてでも最終的に優位に立とうとしている。
体力測定の垂直跳びで、少なくともヒラメ、あわよくばチエにも勝とうと、“金メダルシューズ”などといったものを使って、本番に挑んでいるのもそのいい例だろう(*15)。
そしてマサルがときある毎にチエの嫌がらせをするのは、運動能力だけでなく、特に実社会において強力な武器となる人間関係、生活力になど様々な面おいてマサルより秀でている面が多いからではないだろうか。
そういった意味で、マサルより秀でた面を多く持つチエは、マサルにとっての最大のライバルなのだろう。
ここでチエは勘違いをすることになる。
チエどころかまわりの人物も、読者も、もしかしたらマサル自身も勘違いしているかもしれない。
最大のライバル → 最も気になる相手 → 好きな人
という図式である。
「あいつ、ひょっとしてウチのこと好きなんやないやろか。」(*16)
確かにそういう恋の成立も充分にありえるだろう。確率も決して低くはないとは思う。ただし勘違いしてはいけないのは、それは将来的なことであり、少なくとも物語が進行している、マサルやチエが5年生の時点では、マサルはチエのことが異性として気になるから嫌がらせをするのではなく、チエが、マサルより優れている面を多く持つから、その対抗心から嫌がらせをしているのだ。
コケザルが自分はチエの結婚相手である、という大法螺を吹いたときにショックを受けた(*17)のは、決してコケザルといった恋のライバルが出現したからではないだろう。マサルはチエの将来に、テツと一緒になったヨシ江の姿を見たのではないだろうか。この時のマサルの独り言を引用しておこう。
「アホが…お母はん見て分からんのか。あんまり不幸になりすぎたら、こんにちわゆうて、笑うだけになってしまうんやど。」
「大人になって、オレが悪口ゆうても笑うだけやなんて……オレはどおなるんや。」
マサルはヨシエの才能を当然知っている。父兄運動会において目の前で男達をゴボウ抜きする姿(*18)を見ていたはずだ。自分の能力を誇示するのは当然のこと、と考えるマサルにとって、普段のヨシ江が見せようとしないその姿は大きな疑問になったはずだ。そしてその原因をテツに求め、自分の能力を表に出せない人間、すなわち不幸な人間としてヨシ江を捉えることに結論づけたのだろう。
そしてマサルが恐れたのは、ヨシ江のように才能を持ちながら、それを表に出すことができない存在、チエがライバルとして成り立たない存在になってしまうことではないかと思うのだ。
マサルが幸運だったのは、彼の周りに特異な才能の持ち主が複数いたことだろう。
ヒラメが相撲や絵画などでその才能を現わしてくると、対抗心の標的はヒラメにも当然のように向いてくる。「ヒラメもこのごろ生意気やから」という言葉を皮切りに(*19)、以降マサルの嫌がらせの標的はチエだけでなくヒラメにも及ぶことになる。
そしてさらに幸運だったのが、対抗すべき人間が少数で、まだ彼の適応範囲内だったことだろう。彼らの5年2組には、ヒラメの「ウチかチエちゃんしかおれへんやろ」という言葉から、執拗に嫌がらせを受けるのほどの才能を持った者はチエとヒラメだけのようだ(*20)。他のクラスメイトに対してはイヤミをいうくらいで悪口攻撃のようなことはしていないのだ。
異常なほどの負けず嫌いで、自分に不利な展開になると猛烈な逆恨みを持つか、決定的な場面を迎えると身体に異状を来してしまうマサルにとって、現状ではチエとヒラメを相手に研鑚しているのが現段階では一番なのだろう。
それにしても、チエと同じようにマサルの嫌がらせを受けているヒラメの方には、なぜかマサルとの好いたはれたの話が一向に持ち上がらないのが面白い。
現在の小林マサルの原動力は、ひとえにライバル心であるように思う。ライバルあってこその小林マサル、ともいえる。そしてマサルの才能は、チエやヒラメ、そしてこれから現れるであろう数多くの才能あるライバル達によって、さらにみががれていくのだろう。
そういった意味で今後もっとも憂慮されるのは、小学校卒業とそれに続く中学への入学だろう。マサルが母親の願うように「私立の中学」などに入れられて、頭でっかちの偏った才能に囲まれてしまう状況や、逆にマサルの適応限界を超えて、多くの才能に対抗しきれなくなる状況に陥り、いろいろな方向に可能性を持ったマサルの才能を、潰してしまうということが起こらないよう祈りたい。
マサルが引越しすることになったときに、ジュニアがもらした「惜しいなあ…」という言葉(*21)は、そんなマサルの才能の開発の現状を的確に捉えている言葉だと思う。
蛇足となるが、ここまで書いて別の可能性が自分の中で頭をもたげてきた。チエや母親たちだけを相手にしている今の状況を脱し、マサルが進学校に入学したとしたらどうなるか。明らかに周囲とは異質な存在として浮くと思う。そこで彼がどういう方向に向くか。初めて自分自身と対峙した時、意外と行動的な好青年に化けるような気がしてきた。が、これはあくまで個人的推測に過ぎない。
[注釈]
Tweet