じゃりン子チエの街

【目次】

西萩駅を探せ!

新世界界隈

大阪が舞台になった小説や漫画は多い。その多くはキタ、ミナミ、道頓堀、天王寺、新世界……など日本中の誰もが知っている大阪である。

誰が最初に言いだしたのか知らないが、新世界あたりを案内するとき「じゃりン子チエの舞台になったのが、ここや」と紹介する人が多いときく。大阪のガイドブックなどを引っ繰り返してみても、そんなことは、どこにも書いていない。

81年にアニメ「じゃりン子チエ」(東京ムービー新社・毎日放送制作・全65話)が全国ネットで放送された初期の頃「ジャンジャン横丁」といった看板や通天閣が描かれるシーンが多かった。

アニメの後期部分では「通天閣」は姿を消したが「ジャンジャン横丁」という看板は、最後まで消えることはなかった。ところが原作に「ジャンジャン横丁」は1度も登場していない。通天閣も風景として2コマだけ登場しているが、チエの家の近所ではなかったり、はるか遠くの風景として描かれていたりする(1巻4話、2巻8話)。ただ、1巻だけを読むかぎり、読み方によっては、チエの家の近所に通天閣があるような印象も受けるが、その後、近所の風景として通天閣は登場していないので「新世界」説は却下してもいい。

「じゃりン子チエ」こと竹本チエの家の正確な住所は「大阪市頓馬区西萩」である。大阪には現在も過去にも「頓馬区」というところは実在しない(6巻7話)。それなら「頓馬区西萩」は大阪のどこにあると考えられるのか、原作単行本からの検証を試みたい。

チエの家の近所の「西萩駅」からは難波までの切符しか買えないので、難波を起点にする、高架を走る鉄道路線の沿線に「西萩駅」のモデルがあると考えられる(21巻3話) 。すると、近鉄、南海、JRの3路線のどれかにしぼられる。ただし、原作で、この事実が明らかになるのは84年のこと。当時「JR難波」駅は「湊町」という駅名だったのでJR沿線に「西萩駅」となる駅がないということになるため、JR線は除外してもよい。

13巻12話の中に「天王寺…、北田辺…、針中野、矢田…、河内天美…」という猫の会話が登場するのだが、これらは近鉄南大阪線の駅名である。が、近鉄南大阪線は阿倍野橋駅を起点としているため、これも除外していい。

難波を起点とする南海、近鉄線の駅名をたどっていくと南海高野線に「萩ノ茶屋」という駅が存在する。驚いたことに萩ノ茶屋駅は西成区にあり、なんとなくではあるが地図上から「西萩駅」のモデルのように感じられる。さっそく、現地へ行ってみる。駅に降り立った瞬間、驚いた。駅の形が「西萩駅」そのものなのである。ホームは「島」型で、ホームの中央に1ヵ所だけ階段があり、下りると改札へ出る。駅の改札を出て右に券売機があり…なんといっても、駅の形(駅舎という恰好のいいものではない…)が「西萩駅」なのである。

萩之茶屋徘徊

南海高野線「萩之茶屋」駅

萩ノ茶屋駅と西萩駅には共通点も多いのだが、違う点も一応指摘しておきたい。確かに改札を出て右側に券売機があり『じゃりン子チエ』のそれとそっくりなのだが、萩ノ茶屋駅の場合、その券売機のすぐ隣に時計屋があるのだ。ちょうど、神戸の元町高架商店街のように店を構えている。

駅の東側、つまり改札を出て右側、すなわち原作で言うところのチエの家方面へ徘徊してみる。駅前に「萩之茶屋本通」というアーケードのある商店街が真っすぐに伸びる。商店街は天王寺方面まで伸びていた。ちょっと、原作とは違う風景だ。原作では駅のそばにはアーケードのある商店街はない。むしろ、原作に近い風景は駅の西側にあった。

この「萩ノ茶屋」という名前でピンときた人もいると思うが、駅の東側は「あいりん地区」といわれる、日雇い労働者が多く生活している街でもある。いわゆる「釜ヶ崎のドヤ街」である。ここでは詳しく触れないが「日雇い労働者の街」が、意外にもテツをはじめ原作の中の登場人物の思想や信条に影響を与えているのである。

「西萩」は実在した!! また、この界隈はホルモン焼屋が意外と多い。訪れた時期が夏だったためテツのように雪駄履きの人も多く見かけることができたことも付け加えておきたい。地図上から、チエが通う「西萩小学校」のモデルではないかと踏んでいた「萩之茶屋小学校」も、全く校舎の造りが違っていた。もしかすると、ここは『じゃりン子チエ』の街ではないかもしれない。富士の樹海に迷い込み、死を覚悟したかのような感情を抱きつつ、駅の西側方面を目指すことにした。駅の西側はアーケードのない商店街が広がり、なんとなく『じゃりン子チエ』の世界に似ている。と思ったのも束の間、商店の壁の掲示板に「西萩北振興町会」なる貼り紙が目に飛び込んできた。

「おぉ、これは!」

諦めムードから一転。原作の代替品ではなく、ついに、そのものを発見した。地名で言えば、駅の東側を西成区萩之茶屋、駅の西側を西成区花園北というのだが、あきらかに「西萩地区」は実在していることになる。萩之茶屋の西側なので「西萩」なのだろう。

「もしかして『チエちゃん』は実在するのでは」

ディズニーのアニメを見て感動した後に、ディズニーランドに行き、さらに感動を深めたミーハー心理というのか、ファン心理というのか、なんといっていいのかわからないが、次つぎと原作に登場するモノを見つけて舞い上がった私は、さらに周囲を徘徊してみることにした。

おバァはんの名前と同じ「菊」という屋号の店を2件発見するが、それぞれコインランドリーや散髪屋だった。また「だるま屋」という屋号の店もあるが、これは眼鏡屋。極めつけは「てっちゃん」というスナックを発見するが、マンションの1階に店があるので、原作に程遠いものであった。結局、それらしきモノは発見できず「西萩」の街を後にした。

西萩町は実在した

これまでの事実は『じゃりン子チエの秘密』の中でも触れている。ところがである。さらに、この「説」を確定的にする物証が『秘密』出版後に発見された。前項で西萩地区のモデルと断定した大阪市西成区花園北地域が、かつて「大阪市西成区西萩町」と呼ばれていたことがわかった。

西萩地区の地図

『日本地名大辞典・大阪府』(角川書店)によると、今の花園北1~2丁目、旭1~3丁目、鶴見橋1~3丁目の一帯を1973年まで「西萩町」という地名で呼ばれていたのだ。

さらに、昭文社が1965年に発行した『大阪市精図』(関西じゃりン子チエ研究会会報第4号=94年6月発行=に地図を掲載している)にも「西萩町」がしっかりと登場している。この地図では、そればかりか『じゃりン子チエ』の西萩地区に接していると思われる「南萩」「立花」「東萩」「入舟」「北萩」「萩町」や地獄組がある「海西」、ヨシ江が少女時代に住んでいた「南海」の各地区に類似した地名を「西萩町」の周りに見つけることができた(3巻8話、10話、7巻5話)。

そのモデル地区と、現在の地名との対称を表にしてみたので、ご覧いただきたい。

こればかりか登場人物名に由来する地名も見受けられた。大阪の人ならピンとくると思うが、地獄組ボスのレイモンド飛田の「飛田」(現在の西成区山王)は天王寺の南にあった遊廓の地名。また、テツの幼なじみの丸山ミツルの「丸山」は、西成区に隣接する阿倍野区丸山通に由来していると考えられる。 おまけに、飛田地区と丸山通の中間には「市設南霊園」という墓地があるのだが、ここは、かつて小鉄とジュニアが戦った墓場ではないかと推定される(2巻8話)。

『じゃりン子チエ』
に登場する地区名
1965年『大阪市精図』に出てくる
地名とその根拠
現在の地名
西萩 西萩町 花園北、旭、鶴見橋の一部
東萩 東萩町 萩之茶屋、天下茶屋北の一部
入舟 西入船町、東入船町 萩之茶屋
立花 橘通(字は違うが「タチバナ」)
南海 南海通 玉出東
海西 海道町か? 萩之茶屋
北萩、南萩、萩町 実在しないが、実在する西萩町、東萩町の
流れから出てきた地名か?
 

ひょうたん池は実在しない?

天王寺公園河底池

『じゃりン子チエ』に登場する地名は、ほぼ実在していたことは、既にここまで明らかになった。しかし、原作を読み込んだ読者なら気づいているのかも知れないが、私たちを悩ませているのは、西萩地区のオアシス「ひょうたん池」の存在である。その風景から天王寺公園の河底池ではないかと推測し『秘密』でも、そのことを書いたのだが、数名の読者から「違うのでは?」という指摘がなされた。異論を唱える大阪出身者からも、こう指摘された。

「ひょうたん池は木が少ないが、河底池の周辺はジャングルのように木が茂っているではないか」

しかし「西萩地区」から近い実在の大きな池といえば、ちょっと遠いが、天王寺公園の河底池しかなく、木が多い少ないの差はあるが、風景もよく似ているし、池の形も、どことなく「ひょうたん型」に見えなくもない。そこで『秘密』本の協力者や読者らで作る「じゃりン子チエ研究会」は「ひょうたん池探索部会」を自然発生的に発足させ、その候補となりそうな池をピックアップすることにした。前出の『大阪市精図』の西萩町周辺に「池」のつく地名が多いことから「もしかすると昔は池があったのではないか」という線で研究を試みる者もいた。特に「西皿池公園」(西成区潮路)の形がひょうたん型で、しかも、そこに池があったこともわかったが、昭和時代に入って池が埋められたため「ひょうたん池」の確証は得られずじまいだった。もし、池があったとしても、調査担当者曰く「狭すぎる」とのこと。 結局、「ひょうたん池」のモデルには、決定的な確証がなく迷宮入りとなりかけた。

朝日ジャーナルの記事

そんなときに朗報が飛び込んできた。なんと原作者・はるき悦巳先生が週刊誌の対談記事で「ひょうたん池」のモデルについて語っている部分があることが、発見されたのである。

『朝日ジャーナル』80年8月8日号の対談記事「なぜ『少女よ大志を抱くな』なのか・マンガ『じゃりン子チエ』の原風景」の中で原作者自身が、

「近くに、チエの公園のモデルみたいになっている、茶臼山というとこがあって、そこと天王寺の美術館のまわりに木があったぐらいで、それ以外は、木なんてあらへん。そこに中学一年のときまでおったんやけど、やたら人間も多うて、面白いことばっかりやった」

と語っているのであるのである。そういえばテツのオリジナルソング「トラのフンドシ」の中に「チャブス山でドンコつり~」という歌詞が出てくる(4巻3話)。「チャブス山」とは、その天王寺公園の河底池の横にある「茶臼山古墳」である。ドンコとは小魚の俗称である。山で魚は釣れないので、この「トラのフンドシ」は天王寺公園の河底池を歌っているのである。さらに、この池が現実に「ひょうたん池」と呼ばれていたことを示す「資料」も見つかった。上方落語「天王寺詣り」の中で、天王寺の周辺を案内する下りに「茶臼山の前がひょうたんの池」という一節がある

西萩地区の地図

ここまで、明確に舞台のモデルが実在しているのなら、地図を作ることは可能…と私たちは考えた。そこで、原作全巻、すべてのコマをチェックして、次の地理的情報をピックアップしてみた。

  1. 道路に面する建物の位置(角地か、大通りに面しているかなど)
  2. ある建物から別の建物へ移動する際の方向(例えば、チエの家を出て右方向に西萩小学校がある…など)
  3. 2.の移動途中の目印(角を曲がるのか、直進するのか、高架をくぐるのか…)
  4. 建物の位置をプロットするために必要な屋号や名称(例「チエちゃん」「マサルの家」など)
  5. その他、地理的情報(地名、電話番号、年中行事が行なわれる地点など)

1~65巻まで1.から5.までに該当する情報が含まれている123コマをピックアップ。 このうち重複するものや、屋号などで存在することはわかっているが、位置関係が不明なもの、地獄組やコケザルの家などのように西萩地区にはないものなどを削除した42コマを厳選して、矛盾なく地図を完成させることとなった。

しかし、厳選したコマでも矛盾があるものがある。例えばチエがいつも利用している赤電話から菊の家へ行くまでに、角を右へ曲がり、次の角を左方向を曲がらなければならない(6巻151頁)が、菊の家から堅気屋へ行くときに、堅気屋の右方向から入ってくる場面が多くある。チエの家と赤電話の位置を中心に考えると、遠回りでもしなければ、このようにはならないのだ。ただ1回だけ、急用で菊が堅気屋と菊の家を往復したときに、堅気屋の出入口の左から出て、左から入ってくる場面があった。これだけが位置関係を矛盾せずに説明できるのである(文字で書くと分かりにくい!!)。

方角については具体的な方角の記述が少なく矛盾点も多くあるため、判断材料として月の欠け方と、ある地点で、その月が見えている時間を元に方角を割り出した。昼間の建物の影で判断する方法もあったが余計に矛盾を生み出すので、月を判断材料に用いた。こうして、半ば強引な地図を作成したが、これを実在する萩之茶屋駅近辺と合わせると、実在のそれとは、区画からして、かなり違っていることがわかった。

特に「ひょうたん池」は、チエの家から見て真北になるが、原作者がモデルとした河底池は、萩之茶屋地区から見て北東方向で、高架の向こうにある。かなり遠いうえに天王寺の繁華街を通過しなければならない。学校のマラソン大会のコースとしては不向きである。区画を考えなければ、チエが通う西萩小学校は市立萩之茶屋小学校、西萩公園は萩之茶屋北公園と位置的にピッタリと合うが、地域的には旧東萩町なので、学校名、公園名からして矛盾してしまう。

ところで、私たちの作成した西萩地区の地図は必ずしも完璧なものとは言えないが、原作には、これらの矛盾も超越した、どうしても理解しがたい最大の矛盾があるのである。超常現象なのか。わざわざ経由しているのか…なんと、花井の家からチエの家へ行くのに大阪府北部で京都府と接する枚方市を通るのである。それは5巻40頁の1コマ目。花井の後に「株式会社谷垣工業 枚方営業(所?)」という文字が見えるのだ。

西成マンガ騒動を考える

96年初頭。大阪を舞台にした連載マンガが、その中で、ある一言の注釈を付け加えたために連載中止となってしまった。

「気の弱い人は近づかないほうが無難なトコロ」

この一言に地元の団体が抗議。そのマンガを連載していた雑誌社は筆者の謝罪と連載の中止を決めた。『じゃりン子チエの秘密』を書くにあたって、いろいろなマンガを評論した本を書店で立ち読みしたことがある。その本の題名は思い出せないのだが、その本には『じゃりン子チエ』の明確な舞台は実在しないと書いていた。現実に「西萩」が実在している(していた)以上、この論理は覆されることになるのだが、そこに「漫画論」が踏み込んではいけないタブーであったとすれば、この論理もわからなくはない。『じゃりン子チエ』には「西成」という地名は1度も登場しない。大阪の区名だけをとりあげれば、競艇場のある「住之江」、カルメラ兄弟が露店をだしていた「住吉」など実在の地名が登場しているにもかかわらず…(15巻7話)。

萩ノ茶屋地区

『じゃりン子チエ』の街は、お世辞にも「ガラのいい街」とは言えない。かといって、単に「ガラが悪い」とも言い切れないのである。そもそも「ガラ」とは外見判断だけのことであって、内面的な視点は含まれていない。しかも「悪い」となれば、外部を受け付けない排他的な街を印象付ける。逆に、その言葉を用いた者は「ガラが悪い街」に一度も足を踏み入れたことのない排他的人間であることまで、ばれてしまう。西萩地区は決して排他的ではない。

東京から花井家へ嫁いできた朝子は完全に、西萩地区の住民になったし、どこかの温泉町からカルメラ兄弟と結婚した姉妹にいたっては「わたし、この辺、楽しくって好きよ」と言っている。(56巻7話) 誰にでも門戸を開放した街であって、少なくとも東京みたいに、地方から来た人間を「イナカもの」扱いするような超閉鎖的な街ではない。むしろ、この視点で考えれば、西萩地区よりも多くの漫画出版社がある東京の方が「ガラが悪い」のである。

ここで問題になっているのはフィクションの世界であって、現実の話ではない。ただ、フィクションの中で実在している地域を名指しで、なんの根拠もなく「ガラが悪い」としたところに、問題漫画作者の不注意があった。スイカを知らない人間に「スイカは辛い食物」であると書けば、その読者は「スイカは辛い物なのだ」と思うことと同じである。いかにその部分を、それらしく、しかも、実物を損なわないで表現できるか…現在の作家や漫画家、クリエーターの腕の見せ所…資質が問われている。

「在日」説と「部落」説

クレームがついた話題ではないが、呉智英氏の著書『現代マンガの全体像・増補版』(史輝出版)は『じゃりン子チエ』について大きくページを割いている。この中で、舞台は西成区と特定したうえで、竹本家やヒラメちゃんをはじめ、多くの登場人物が、なんらかのコンプレックスを抱えていることから在日朝鮮人や被差別部落出身者ではないかと論じているのである。評論は勝手であるが、どうも腑に落ちない。確かに大阪市は在日韓国・朝鮮人の人口比率が全国トップである。呉氏が、そう指摘するのも、この辺りからだろうと思われる。その「在日朝鮮人」説であるが、この説を覆す登場人物が数多くいる。竹本家、平山家、百合根は確実に日本国籍を持っている。なぜなら、選挙へ投票に行っているからだ。(12巻5話) このとき投票に行かなかったカルメラ兄弟のうち、弟分は四国出身で実家が代々のミカン農家であることが判明している。(18巻10話) ただ兄貴分については、明確な根拠はないが、姓が「菊崎」という点から考えても、この呉説は考えにくい。なぜなら、かつて日本が朝鮮半島に侵略していた頃、天皇の命令によって、朝鮮人は日本名への改姓を強制させられた事実がある。多くの人は自分の姓を残すために、改姓させられた姓に、もとの姓を残す努力をした。日本へ強制連行させられた朝鮮人は、日本が敗戦した後も、日本人による差別や虐待をおそれて、そのまま「日本人」として生活している。だからといって、彼らが彼らを抑圧していた日本の国花であり、天皇の紋章である「菊」を姓に取り入れるのは、現在の韓国人が抱く対日感情からして考えられないからだ。 続いて「被差別部落」説であるが、確かに、大阪には「同和地区」が多く点在していることは事実なのである。だからといって、半ば決め付けるのもいかがなものであろうか。 もともと、この差別制度は江戸時代のもの。まもなく21世紀が近づこうとしているのに、二百年前に廃止された根拠のない差別制度にこだわっているようでは呉氏のセンスが問われるというものだ。しかし、原作だけで、この説を論破することはできないのは残念である。

そもそも、漫画に限らず、現実の人間にしたって、誰が朝鮮人だ、誰が韓国人だ…などと指摘するのは、国際化の時代に逆行している行為である。ましてや同じ日本国民が、あいつは部落出身者だ…といって区別するのもバカげている。そんなことを知ったからといって人間の価値は変わらないし、生き方を他人の意志で左右される筋合いもない。もし、こういう評論をフィクションの解析に持ち込むならば、もう少し、多くの日本人が天皇や将軍の名の下に、差別制度を作り、なぜ我々は、それに迎合したのか…。そこまで言及したからには、それが、その人物の人格形成で、どのように影響しているのか…理論的に進めてもらいたいものだ。漫画研究を「遊び」とするならば、徹底的に後腐れなく遊んだほうが面白い。呉氏のような仕事を、小鉄が知ったら、こう表現するだろう。

「遊びやとしたら、ちょっと趣味が悪いなぁ」(24巻4話)

※この論文は『じゃりン子チエの秘密』Q22および『会報』記事を再編成したものです
※写真は1993年6月に撮影したものです



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LastUpdate 1997/11/12
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