長尾剛の竹本ヨシ江論を批判する

竹岡 啓

【目次】

ヨシ江は“魔性の女”か

「じゃりン子チエ」という生き方・長尾剛著

1998年に双葉社から出版された長尾剛『「じゃりン子チエ」という生き方』(以下『生き方』と略)は、『じゃりン子チエ』(以下『チエ』と略)の全編を通読した上で登場人物ごとに分析を行っており、『チエ』を読み解こうとした書として一定の評価に値するが、長尾氏の説には強引にこじつけようとした部分が、いくつか見受けられる。竹本ヨシ江論を中心として、本稿は『生き方』への批判を試みる。

ヨシ江は「良妻賢母」の理想像であるという通念を長尾氏は真っ向から否定し、次のように述べる。ヨシ江は、家庭のために自分を犠牲にする女ではなく、己の幸福を一途に求める女である。テツという自堕落な夫の放埒(ほうらつ)な振る舞いに耐える健気な妻を演じることによって、ヨシ江はテツの妻の地位を不動のものにし、彼を独占している。テツは確かにヨシ江だけを愛しているが、それはヨシ江にそう仕向けられた結果であり、ヨシ江はテツを完全に支配しているのである。ヨシ江からテツを奪いうるものがいるとすれば、それはチエだけであり、この強力なライバルの存在をヨシ江は常に意識している。──『生き方』の読者のどれだけがこの説に同意したのかは知る由もないが、ヨシ江の能動的な性格を強調しようという意図は明らかであり、それ自体は決して誤っていない。

しかしながら、いくつかの点において長尾氏のヨシ江論には問題があるように思われる。たとえば、テツがヨシ江以外の女に目もくれないのは、ヨシ江に手綱を握られているからだと長尾氏は述べているが、そうでなければテツはたちまち他の女に飛びつくのだろうか。彼はそれほど中身のない男なのか。また長尾氏によると、テツに対する自分の支配をより強固なものにするためにヨシ江は家出をしたことになっているが、そのような動機で家出をしながら菊の同意を得ることは果たして可能だったのだろうか。ヨシ江がテツへの支配の強化をたくらんでおり、その目的を達するためには自分の娘の苦しみも意に介さなかったのだとすれば、菊はそのことをたちどころに見抜き、ヨシ江との対立も辞さなかっただろうと思えるのだが、菊を軽視している節が長尾氏には見られる。現に、菊について論じた章は『生き方』には設けられていない。

ラファエロの描く聖母にヨシ江を擬すのは確かに誤りかもしれない。しかし、それにしても長尾氏の説は極端である。「良妻賢母」の対極に「魔性の女」がおり、ヨシ江は後者に属しているのだといいたげな口吻(こうふん)である。「おさん型」「小春型」なるカテゴリーを長尾氏が設定していることに、そのことは端的に現れているが、これに関する考察は次項に譲る。

長尾説の原型(?)としてのワイニンガー

「女の責務を果たそうとする女」と「女の幸福を追い求める女」を長尾氏は対比させ、近松門左衛門の『心中天の網島』に登場する紙屋治兵衛の妻おさんに前者を、曽根崎新地の遊女・小春に後者をなぞらえている。そして、一見したところヨシ江はおさん型のようだが、実際には小春型であると結論している。

長尾氏が行ったような女性の二分化は珍しいことではないが、そのことで有名なのはオーストリア=ハンガリー帝国の思想家オットー=ワイニンガー(1880~1903)である。ワイニンガーは、その著作『性と性格』において女性を聖母型と娼婦型に分類した。「女の責務」を全うしようとするのが聖母型、「女の幸福」を追求するのが娼婦型であり、長尾氏のいうところのおさん型を聖母型、小春型を娼婦型と言い換えても不都合は何ら生じない。

ワイニンガーによると、聖母型の女性は自分の子供のことだけを考える。一方、娼婦型の女性は男のことだけを考える。聖母型の女性にとっては子供がすべてなので、その子の父親がどういう人間であるかはさして意味をなさないが、逆に娼婦型の女性にとっては子供の方が無意味である。娼婦型の女性が子供をかわいがることがあるとすれば、それは母親を演じることによって男を惹きつけるためである。長尾氏によると、ヨシ江はチエを自分のライバルと見なしているにもかかわらず、完璧な母親を演じているそうだが、してみるとヨシ江は娼婦型の女性の典型ということになる。

テツとヨシ江は地区対抗運動会で出会った。リレーではテツが西萩地区の、ヨシ江が南海地区のアンカーとして走り、テツがカーブで転倒したために南海地区が一着になったという。あまりにも有名なエピソードだが、ヨシ江はこの日からテツの支配に全力を傾けはじめたのだと長尾氏は主張する。ヨシ江は十代の半ばにしてすでに娼婦型(あるいは小春型)の女だったということになるが、ワイニンガーの言説に従えば、長尾氏の主張はごく自然なものと見なしうる。大概の女性は娼婦型と聖母型の双方の性質を備えているが、その配偶者となるべき男性に巡り合った瞬間に、いずれの型に属することになるのかが最終的に決定されるとワイニンガーは述べているのである。

自分の力が失われることを考えるときにのみ娼婦型の女性は心を乱すとワイニンガーは述べているが、チエにテツを奪われまいとヨシ江が躍起になっているのであれば、彼女はやはり娼婦型ということになる。さらに付け加えると「強靭な精神力と聡明な演技力」をヨシ江は備えていると長尾氏は述べているが、ワイニンガーが『性と性格』に記しているところによれば、知的な女性はことごとく娼婦型に属しているのである。

長尾氏はヨシ江の「本性」を見破ったのか

前の項で示したように、長尾氏の描くヨシ江像から、彼女が娼婦型であることを帰納できる。長尾氏がヨシ江を娼婦型の女と規定し、そこから彼女の「本性」を演繹(えんえき)したというつもりは無論ない。しかし、ワイニンガーのことは森鴎外が『青年』の中で紹介している。長尾氏は学生時代からプロの文筆家として活躍し、文芸研究家として名が高い。夏目漱石研究を中心に仕事をしている方なので、鴎外は専門分野から外れているかもしれないが、それでも『青年』を読んでいる可能性は充分にある。

長尾氏が『青年』を読んでおらず、ワイニンガーを知らないとしても、ワイニンガーと長尾氏の説には多くの共通点が見られる。だが、23歳の若さで自らの人生に終止符を打った天才の思想を長尾氏が再現したのだとしても、手放しで喜ぶわけにはいかない。ワイニンガーがナチスのイデオロギーに影響を及ぼしたとされているからではなく、その二分化があまりにも非現実的であるように思えるからである。「おさん型」「小春型」という分類を現実の女性にまで適用する気は長尾氏にはないのかもしれないが、ヨシ江がマンガの登場人物に過ぎないからといって、そのように単純な類型化を彼女に適用してしまってよいと考えるのはいかがなものか。

単純な分類は単純な価値観をしばしば伴う。二元論の虜となったワイニンガーは人類を男性と女性に分類し(これは実はジークムント=フロイトからの剽窃だった)、女性を聖母型と娼婦型に分類したが、そこから生まれたものは女性蔑視と反ユダヤ主義に過ぎなかった。長尾氏にしても、ヨシ江がテツの完全な支配を望んでいると主張した結果、ヨシ江とチエがテツを奪い合うという陰惨な未来図を描かざるをえなくなり、その可能性をあわてて否定している。ワイニンガーほどの破綻はきたしていないにせよ、テツに「理想的な武士像」を見いだした人物にはおよそ似つかわしくない暗さを、長尾氏の竹本ヨシ江論は漂わせている。

ヨシ江に限らず、登場人物を類型化する傾向が『生き方』には見られる。人物ごとに分析を行った以上は当然の結果かもしれないし、それなりに魅力のある結論も中には混ざっているといえるが、あまり好ましいこととはいえないように思われる。たとえば長尾氏はテツに「理想的な武士像」を見ているが、客観的に評価する限りテツはただのろくでなしであり、西萩においてのみ存在を許容されているのではないか。どうしても長尾氏はテツの存在に理由を見いだしたかったのだとしか思えない。

ワイニンガーと同時代に同国で生きた物理学者・哲学者ルートウィヒ=ボルツマンは次のように述べている。それ自体の外部に目的を持たない人生を無価値であると見なしてはならない。また、人間の定めたカテゴリーが常に通用するなどと考えてはならない。──西萩の人々を見ていると、ワイニンガーよりもボルツマンの方が正しいのではないかと思えてくる。

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LastUpdate 2000/3/1
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