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■猫と光三と一人の少女 執筆:竹岡啓
★小鉄とアントニオ親子の生年
 チエと小鉄はほぼ同い年である。また、自分は人生(厳密には猫生)の3分の1をチエちゃんのところで過ごしたことになると小鉄は1982年の元旦に独白している(番外篇4話)。小鉄がチエの飼い猫になったのは1978年の暮れのことなので、彼の生年は1970年頃だと推測できるが、そろそろ赤いちゃんちゃんこでも着たらどうだとジュニアに揶揄されているところを見ると、小鉄は1969年生まれであるとするのがもっとも妥当であるかもしれない。赤いちゃんちゃんこはいうまでもなく還暦の祝いの品であるが、猫の10歳が人間の還暦に相当すると見なしても差し支えないだろう。
 西萩を訪れる前、ジュニアは淀川界隈に住んでいた。少しは知られた顔となっていたジュニアだが、弱者に対しては味方だったので、仲間の野良猫からは好かれていたという。ジュニアをもっとも慕っていたのは三公という猫であり、ジュニアも親身になって三公の面倒を見たそうであるが、2歳の誕生日を目前に控えた三公がジュニアのことを「兄貴」と呼んでいるところを見ると、当時ジュニアは少なくとも2歳にはなっていたはずである(番外篇2話)。年功序列の通用する世界ではないとはいえ、年下を兄貴と呼ぶことはさすがにないだろう。
 それから2年後、ジュニアはひょうたん池のほとりで当時の思い出を小鉄に語って聞かせた。小鉄がドテラの留吉と決闘してから間もない頃のことである。小鉄と留吉の決闘があったのは1979年の暮れだから、ジュニアがマフラーをするようになったのは1977年のことであり、したがってジュニアの生年は1975年であると推測できる。西萩にやってきたときジュニアは4歳だったということになるが、もっと若いのではないかという気がしないでもない。だが、いつまで経ってもジュニアから稚気が抜けないことを嘆いた百合根が、アントニオはジュニアの年頃には立派な大人だったと回想しているところを見ると、アントニオも4歳で百合根の家に住み着いたのだということになる。白昼の通り魔という異名を関東で博したほどの男が4歳よりも若いというのはちょっと考えられないから、ジュニアは1975年生まれでなければならない。
 アントニオが西萩に住み着いたのは、百合根が妻と別居するようになった直後であるから、1974年のことだと推測できる(番外篇1話)。これはジュニアが生まれる以前のことであるが、百合根の飼い猫となったのちもアントニオは旅に出ることがあり、淀川で地元の女性にジュニアを生ませたのだろう。なお、前述したようにアントニオは4歳で西萩にやってきたのだから、彼の生年は1970年ということになる。
★非情なアントニオ
 アントニオは非情な猫である。彼は敗者に情けをかけない。関東一円に勢力を張っていたという次郎吉を負かしたとき、アントニオは彼の尻尾に結び目をこしらえた。次郎吉の威信は失墜し、とうとう彼は関東を追われてしまう(26巻12話)。百合根の飼い猫となってからも、アントニオの性格は変わらなかった。次期横綱の最有力候補だった闘犬・丑ノ花と闘ったとき、勝負はアントニオの頭突きの一撃によってあっけなく決着したにもかかわらず、負けた丑ノ花の頭をアントニオは石で乱打している。仕返しする気が起こらなくなるくらい徹底的に痛めつけておかないと自分の身が危うくなるというのがアントニオの信条だった(番外篇1話)。
 敗者に対して紳士的に振る舞わないという点ではスフィンクスの釜虎もアントニオと同様であるが、過酷な世界で生き抜いていくためにはアントニオや釜虎程度の冷酷さは備えていて当然なのだろう。アントニオとは対照的に、小鉄は寛恕(かんじょ)の精神をもって敵に接する。留吉と最初に闘ったとき、小鉄は彼の額に大きな傷痕をつけただけだった。数年後、復讐心に燃える留吉との再度の戦いを小鉄は余儀なくされるが、小鉄が留吉に対して必殺タマ潰しを最初から使っていたらどうなっていたであろうか(4巻11話)。
 紳士的な戦いを好んだことで小鉄は後顧の憂いを残したばかりでなく、新たな挑戦者を呼び寄せていた節がある。小鉄は最強の猫であり、しかもきれいな戦い方をするので、敗者も面子を潰さずに済む。負けても恥にならず、運よく勝てれば歴史に名が残るのであるから、一旗あげようとしているものであれば月の輪の雷蔵への挑戦を真っ先に考えたことだろう。しかし相手がアントニオだと事情は著しく異なってくる。アントニオに決闘を挑んで負けようものなら、完膚なきまでに叩きのめされて後遺症が残りかねないし、以後は汚辱にまみれて生きなければならない。失うもののある猫ならば、彼との戦いをためらったとしても不思議ではない。次々とあらわれる挑戦者の処理に小鉄が忙殺されていたのに引き換え、アントニオが優雅なさすらいの旅を楽しんでいたのだとすれば、その理由はここにある。
 しかも、アントニオは4歳で西萩に安住してしまったが、小鉄は10歳近くまで延々と漂泊しつづけていたのである。その間にあらわれた挑戦者は数えきれないほどだろう。にもかかわらず小鉄が一度も負けなかったのは、ひとえに彼が天才だったからである。小鉄がいかに強いかを物語る逸話の一つに、鎖鎌の遣い手との戦いがある(『どらン猫小鉄』予告篇)。小鉄は涼しい顔でこの敵を一蹴しているが、鎖鎌は武器として非常に優秀であり、剣でもって鎖鎌と戦うのは困難であるとされている。宮本武蔵と戦って惜しくも敗れた宍戸梅軒は鎖鎌の達人だったが、武蔵が梅軒に勝てたのは、彼が卓越した武芸者だったことの証明となっている。まして小鉄は素手だったのであるから、その強さは想像を絶する。
★晩年のアントニオ
 釜虎が北陸でコタツと格闘し、ジュニアが淀川で失恋の痛手に苦しんでいる頃、アントニオは百合根光三の飼い猫として遊興倶楽部の経営を手伝っていた。宮本武蔵は29歳のときに船島で佐々木巌流と決闘し、それを最後に引退したのであるから、アントニオが4歳で一箇所に定住したとしても不思議ではない。アントニオが太平洋側を、釜虎が日本海側を制覇するという約束はどうなったのかと問いたくなるが、アントニオには彼なりの言い分というものがあるはずである。
 日本海側にはろくなやつがいないと釜虎は不満だったようだが、アントニオの引き受けた太平洋側でも事情はたいして異ならなかっただろう。アントニオは関東で人妻(厳密には猫妻)を片端から寝取り、白昼の通り魔と称せられるに至るが、自分が挑戦するにふさわしい相手が見つからないのでやけを起こしたとも考えられる。実力よりもハッタリが幅を利かせるという現実を目の当たりにしたアントニオは方針を転換した。大阪に引き返し、府内で牛や土佐犬と戦うことにしたのである。そうすれば、大阪から動かずにいても噂が自然と日本中に流れていく。それで全国を制覇したことになるとアントニオは考えたのだろう。
 もちろん、アントニオが大阪に戻ったのには別の事情も考えられる。石油危機の影響で日本は空前の不況に見舞われており、1974年には国内総生産が戦後初のマイナス成長を記録した。そのため、アントニオも食糧の確保に支障をきたし、空きっ腹を抱えながら各地を渡り歩く生活にうんざりしたのかもしれない。同時期、小鉄は辺鄙(へんぴ)な土地を中心に旅をしているが、これは挑戦者を避けるためであると同時に、都市よりも農村部の方が飢えずに済むという理由に基づくものだったのではないだろうか。
 1974年から1978年まで、客の手札をのぞきこみながら百合根にブロックサインを送るという作業をアントニオは続けた。ささやかながらも満足な生活の中で、妻子を失った苦しみを百合根は癒されたのであるが、おそらくアントニオにとっても、彼の生涯を通じてもっとも幸福な時期だったはずである。しかしテツがあらわれたことによって、その幸福は破られた。負けるたびにテツはごね、その都度アントニオはテツを叩きのめした。遊興倶楽部から客足は遠退き、経営は火の車となった(番外篇1話)。
 そして運命の日──1978年12月31日が訪れた。思い余った百合根は、テツから少しでも金を取り立てようとチエの店を訪れたのである。そこで乱酔した百合根はアントニオを小鉄にけしかけ、そしてアントニオは負けた(1巻5話)。片方の睾丸をとられたこともさることながら、無敗を誇ったアントニオにとって初の敗北は相当な痛手だったに違いない。アントニオはもはや以前の自分を取り戻せず、それまでいじめていた近所の犬に噛み殺されてしまう。1979年1月14日のことだった。壮絶な最後であったと伝えられる(1巻7話)。
★大晦日の決闘を考察する
 小鉄とアントニオの決闘については謎が多い。二匹の戦いはどのようにして繰り広げられたのか。アントニオほどの強者が小鉄に完敗したのはなぜか。寛容な小鉄がなぜアントニオを半死半生の目にあわせたのか。決闘の現場を目撃したものは誰もおらず、真相を知るものは小鉄だけであるが、彼は黙して語ろうとしない。
 アントニオが小鉄にやすやすと破られてしまったのは、彼が酔っていたからだという説がある。高田馬場の助太刀に駆けつける前に堀部安兵衛は升酒をあおっているが、真剣勝負の前の飲酒は精神を安定させるのだという。しかし、アントニオは百合根につきあって飲んでいたのだから、精神を安定させるのに効果があるなどという程度の酒量では済まなかっただろう。現に、彼は眼が据わるほど深酒しているのである。それでも敏捷(びんしょう)な動きが失われることはなかったようであるが、小鉄の敵にはならなかっただろう。
 たとえ酔っていなかったとしても、アントニオが小鉄に勝てたかどうかは疑わしい。破壊力や持久力では小鉄よりもアントニオの方が上かもしれないが、小鉄の頭脳の鋭さは尋常ではない。圧倒的な力にものをいわせて敵を薙ぎ倒すのがアントニオ父子の戦いの型であるが、小鉄は巧妙な動きで敵の隙につけいる。力だけでは小鉄に勝てないのである。
 小鉄はなぜアントニオをあれほどまでに痛めつけたのだろうか。思うに、アントニオは実際にはそれほど深手を負っていなかったのではないだろうか。アントニオが非業の最期を遂げたのは1979年1月14日のことであるが、つまり2週間で外出できるようになっていたということである。骨折などの重症を負ったにしては回復が早すぎる。アントニオの毛皮がぼろぼろになっていたのは、小鉄に引っかかれた傷ではないかというのが私見である。爪は猫の強力な武器であるが、戦いに際して小鉄が爪を使うことは極めて珍しく、そのような戦法を彼が採用せざるをえなかったというのは、余裕があるように見えて実際には苦しい勝利だったということではないだろうか。アントニオもまた並外れて強かったのだということを、これは証明しているように思われる。
 しかし小鉄はアントニオに対してタマ潰しを使っている。そうでもしないことには勝負が片付かなかったからだと見なすことはできるが、ほうほうの体で座敷の外に這い出そうとするアントニオを小鉄は足蹴にしている。小鉄らしくもない態度である。いきなり飛びかかってきたアントニオに対して寛大になれという方が無理かもしれないが、アントニオを背後から蹴飛ばしたことは、敵を不必要に痛めつけないという小鉄の流儀に反している。なぜ小鉄がこのような態度をとったのかに関する考察は次項に譲る。
★荒れていた小鉄
 チエから餌をもらえなかったとき、その腹いせにマサルとタカシを叩きのめすなど、チエのもとへきて間もない頃の小鉄には粗暴な振る舞いがみられる(2巻1話)。無関係の人間が巻き込まれることを怖れたチエは小鉄を犬のように紐でつないでいたほどである。(1巻5話)。後年の小鉄に比べると、当時の彼は性格がはるかに荒々しかった。
 察するに、果てしない放浪の旅を続ける中で小鉄は心が次第にすさんでいったのだろう。自分が並外れて強いというだけの理由で、凶器を持った不特定多数の敵がひっきりなしに襲いかかってくる。もはや若いとはいえない小鉄にとって、それは「気ままなエトランゼの旅」(番外篇4話)と呼べるようなものではなくなっていたはずである。さすがの彼も疲れはて、一箇所に腰を落ち着けたくなった。小鉄がチエの飼い猫になったのは、彼がチエに惚れ込んだためではなく、単なる偶然に過ぎなかったことに注目しなければならない。故郷の大阪に戻った小鉄はある甘味処に迷い込み、そこからチエのところに引き取られてきたのである(1巻4話)。小鉄にとっては寝食の確保が第一の目的であり、飼い主は誰でもよかった。この時期、自分で餌をとる気力さえ小鉄からは失われていたわけである。いかに彼が追い詰められていたかがうかがえる。
 アントニオの場合は小鉄とは対照的である。大阪に舞い戻ったアントニオは、イカサマの博打で他の猫から丸干しを巻き上げるような暮らしをしていたが、百合根と出会って意気投合した結果、彼の家に住み着いた。前述したように不況の最中だったとはいえ、飼い主を選ぶだけの余裕がアントニオにはあったのである。アントニオの方が小鉄よりもはるかに恵まれていたといえるだろう。
 里子との出会いがロックの心を癒したように、チエと一緒に暮らすようになったことで小鉄のすさんだ心は癒された。これは彼自身にとってのみならず、他の猫にとっても非常に幸運なことであった。望まぬ戦いに明け暮れる日々に嫌気がさした小鉄は、アントニオとの決闘を見てもわかるように、敗者には情けをかけないという「常識」に従おうとしかけていた。長い探索の果てにロックが小鉄を見つけ出したとき、もし小鉄がチエの猫でなかったとしたら、ロックの運命は無惨なものになっていたかもしれないのである。それは里子の果てしない悲嘆を引き起こしただろうし、そうなれば西萩の歴史そのものが変わっていたことだろう。もちろん、小鉄がチエの家に住み着いてさえいなければ、アントニオと小鉄が出会うこともなく、したがってアントニオは命を落とさずに済んだということもできる。だが、アントニオには気の毒であるが、小鉄という一匹の天才が堕ちようとしていたところをチエに救われたことは、西萩全体にとって計り知れなく幸運なことであった。
★アントニオの死がもたらしたもの
 アントニオの死を契機として百合根は極道から足を洗った。百合根がアントニオの亡骸(なきがら)を剥製にしたことは彼の奇矯さのあらわれとされるが、愛猫の遺骸を剥製として保存した人間は何も百合根がはじめてではない。たとえば谷崎潤一郎も同じことをしているそうである。文豪に許されてお好み焼屋には許されない行為というわけでもなかろう。
 そのころ、ジュニアは相変わらず淀川に住んでいたが、初恋が失恋に終わった衝撃から5匹のヤクザ猫を衝動的に半殺しにしてしまい、仲間の野良猫たちからは敬遠されるようになっていた。そんなある日、ジュニアはアントニオの訃報を耳にする。彼は淀川を去って西萩に赴き、剥製となった父親と堅気屋で対面した。
 ところで、アントニオはよい父親であったとは到底いいがたい。淀川の女性に手を出したものの、生まれたジュニアのことはほったらかしだった。そもそも自分に息子がいることすら知らなかったらしい。そして、ジュニアの母親というのがこれまたいいかげんな女だったらしく、ジュニアを育てあぐねた挙句に彼を捨ててしまうのである(17巻4話)。生まれるなり段ボール箱に詰められて河に流された小鉄よりはましかもしれないが、ジュニアも幼時には辛酸を舐めたことだろう。にもかかわらず、自分が英雄アントニオの息子であることはジュニアの誇りだった。おそらく、自分の父親がいかにすばらしい男であるかを、アントニオを直接に知るものから聞かされたのだろう。無頼漢アントニオの別の側面がうかがえる。小鉄と異なり、民衆の英雄として崇拝されることはなかったかもしれないが、アントニオもまた義侠心を備えた猫であり、そういうアントニオを慕うものも少なくなかったのではないだろうか。
 話を元に戻す。ジュニアは父親の剥製の前で報復を誓ったのであるが、小鉄はアントニオの死から少なからぬ影響を受けていた。というより、小鉄がアントニオの霊前で彼を供養しているときに百合根が見せた涙に衝撃を受けたのではないだろうか。猫の死をこれほどまでに悲しむ人間がいるということを知った小鉄は、ジュニアに父親の弔い合戦を挑まれたとき、百合根のために耐える決意をする。小鉄はジュニアの実力を一目で見抜いただろうから、それは命がけの行為だった。ジュニアの猛攻によって重傷を負った小鉄をチエは抱きしめて涙を流す(2巻8話)。見るものの落涙をも誘わずにはおかない名場面であるが、「人間と付き合うと苦労するよ」とチエの腕の中でつぶやいた小鉄の顔が非常に満足そうだったのは実に印象的である。チエとの出会い、そしてアントニオの死による百合根の涙が、人間に対する小鉄の考え方を変えたのである。
★冒険児は死なず
 小鉄の西萩への定住は彼の猫生における大きな転換点だったが、だからといってそれまでの自分と異なる何かになろうと彼が志したわけではない。しかし、小鉄自身は意識していないかもしれないが、それ以後の彼は優秀な教師として生きることになる。ジュニアは小鉄を生き方の指針とし、小鉄の冗談や気まぐれにも敏感に反応してしまうほど彼を意識している(20巻2話など)。また、ある時期からジュニアは小鉄の戦いをすべて自分の眼で見ている。そのことによって彼は戦い方を学んだ。破壊力と敏捷性にものをいわせるだけだったジュニアが、頭を使ったケンカをするようになり、小鉄と権八との戦いにおいて小鉄とのセコンドをつとめることができるようになるまでに成長した(58巻)。ジュニアだけが小鉄の「生徒」ではない。ロックの減量を指導したのは小鉄である(52巻11話)。また、父親・梅若を尊敬できずに苦しんでいる床若を小鉄は救った。臨機応変の活躍である。
 他方で小鉄はチエの忠実な飼い猫である。他人の気持ちを理解する術にたけたチエであるが、小鉄に対してだけは実にわがままである。チエの無理難題にも小鉄は唯々諾々として従い(26巻11話など)、彼女の無理解にも立腹することはない。そして、たとえばチエの家を荒らした箕面の猿たちのボスを厳寒の季節に滝壺に放り込んだように(31巻12話)、チエに危害を加えるもののことは決して許さない。小鉄は寛恕の精神をもって敵に接すると前述したが、チエが絡むと例外になってしまうようである。
 神童ヒラメが自分をチエの引き立て役と見なしたように、あるいは里子ほどの優秀な少女が自分のことを誇らしげに「岡山のチエちゃん」と呼んだように(52巻7話)、自身が高い能力の持ち主であるにもかかわらずチエに心服したものは少なくないが、小鉄はチエを尊敬しているのではなく拝跪(はいき)しているのではないか。こうなってくると、なにやら谷崎潤一郎の文学作品じみてくるが、この件については優秀な論客による今後の研究に俟ちたい。
 かくして、波乱に満ちた自分の生涯を小鉄は西萩での平穏な生活で締めくくることにしたようである。しかし、結局のところ彼は生涯を通じて冒険児であり、時として自ら生活の平穏を見出す。自分とはまったく無関係であるにもかかわらず、双子岩村を救うために旅に出たことはその好例であろう(65巻)。ジュニアを追って上京し、自分の伝説に新たな1ページを付け加えてしまったこともある(27巻7話)。虐げられるものを解放し、圧制者を打倒し、その見返りは何も求めず、老境に達してもなお義によって戦いの場に身を投じる──リソルジメントの英雄ガリバルディを彷彿とさせる。
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