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■酒と李白と拳骨とチエ 執筆:菊地馨
★日本漫画で最も高尚なギャグを解明する
天若不愛酒。酒星不在天。
地若不愛酒。地応無酒泉。
天地既愛酒。愛酒不愧天。
己聞清比聖。復道濁如賢。
賢聖既己飲。何必求神仙。
三杯通天道。一斗合自然。
但得酒中趣。勿為醒者伝。

 この漢字の羅列は文字化けではない。
 李白の詩「月下獨酌 四首 其の二」の全文である。花井拳骨の座右の銘ともいうべき詩で、出版文化賞受賞記念講演の中で「今日まで私に最も関わりを持って来た詩」として、前半部分を引用している。

「天、若し酒を愛せずんば酒星は天に在らじ。地、若し酒を愛せずんば、地に應に酒泉無かるべし。天地、既に酒を愛せば、酒を愛するは天に愧じず」(4巻6話)
 拳骨は口語文で引用し、それを聞いていた学生は笑っていたが、テツと同様、ほとんどの読者は、この詩のどこが面白いのか理解できなかったことだろう。
 しかもアニメでは、拳骨が引用した部分が字幕スーパーで登場する。
 しかし、これを「知らんぷり」にして、見過ごしているだけでは「関西じゃりン子チエ研究会」の名が廃るというものである。

 そこで、拳骨が引用した部分を、噛み砕いて訳すと次のような意味なることが判明した。

天が酒を愛してないんやったら、天に酒星(オリオン座の中央にある3つの星を中国では「酒星」と言う)があるのは、おかしいやろ。地も酒を愛さんかったら酒泉(中国の地名。酒が湧くという伝説の泉がある)があったらアカンはずや。どっちもあるっちゅうことは、天も地も酒を愛しとるんや。そやから、人間が酒を愛してるからゆうて、恥ずかしがることはないんや。
 つまり、自分の酒好きを自然の摂理だと肯定しているのだ。よく酔っ払いが言う「酒飲みが酒を呑んで何が悪いねん」という論理を、拳骨は李白の詩を借りて表現したのだ。講演会とはいえ俗っぽい言葉を使わずに、こう表現したところに拳骨のインテリを感じる。
 ちなみに、この詩は、拳骨が引用した部分の後に続きがあり、最後は「酒呑みの楽しみは、酒呑みしかわからんのやから、酒を呑まん奴に、とやかく言うても、しゃあない」という意味の詩で締め括られている。

 ところで、この詩の教えを、拳骨はチエに実践させたことがある。
 家庭訪問のとき、担任であり息子である渉の目の前で、チエに「おまえはおとな以上に苦労しとる」と酒を呑ませている。詩の「愛酒不愧天」(天も地も酒を愛しているのだから恥ずかしがることはない)をそのまま持ち込んだのだ。拳骨の倫理感は法律よりも李白の詩が優先する。(1巻11話)
 これだけではない。花井家の庭で野外パーティーをしたときに、チエにカクテルを作らせ、味見までさせている。(22巻6話)
 だからといってチエが酒に溺れる人生を送ったかというとそうでもない。
 ある日、チエは「当分お酒はやめました」宣言をしたことがあった。その看板を見たテツは「日本一不幸な少女やゆうからガマンきくと思て、ワシ安心してたのに、おもろないからゆうて、ガキが酒におぼれて、どぉするんじゃ」とチエに説教したことがある。チエはすかさずテツの頭をどついたが、それはチエが酒をやめたのではなく、店で酒をだすのをやめただけなのだ。その後、その看板に「お客さんの健康のため」という語句が書き足された。(36巻3話)
 竹本家で晩酌をするほど酒を呑む人間はいない。テツは少し呑んだだけでも吐いてしまうほど弱いのに対して、ヨシ江は笑い上戸である。ヨシ江は呑み過ぎて腰を抜かすほど悪酔いをするが、翌日は二日酔いもせず、ケロッとしていたので、基本的に酒には強い体質といえる。
 そして、拳骨は、将来、李白の詩にのっとって、チエを「大酒飲み」に育てようとしているのだ。


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