西萩探検記 2003

猫町旅人

【目次】

いざ、西萩へ

私が、大阪市営地下鉄・動物園前駅の地上で入り口に降り立ったのは、2003年6月25日の正午過ぎのことだった。

歩道に立って回りを見渡すと、作業服姿の中年男性や路上にビニールシートを敷いて、雑誌やコミックスを売っている人などがいた。売られているコミックスのなかに「じゃりン子チエ」があるかと思って見てみたが、残念ながら無かった。

私はこの街の雰囲気を噛み締めるように目的地である西萩の街を目指した。

西萩の街

南海電鉄・萩之茶屋駅の周辺、辿り着いた西萩の街は古き良き佇まいを残していた。この街が最も賑わっていた昭和3、40年代に立てられたものなのだろうか、古い建物が多い。すでに長期間休業してしまっていると思われる店も多かった。

そして、その店先の地面には、腰を下ろして酒を飲んでいる人、マンガ雑誌や文庫本を読んでいる人、そして、何もせずにただ寝そべっている人が居た。

おそらく、この人たちは、今日、仕事にあぶれたのだろう。

「じゃりン子チエ」でも、チエちゃんが取り仕切るホルモン焼屋の常連客が「今日は仕事にあぶれた」と言う場面が出てくる。

早朝、阪堺電気軌道・南霞町駅周辺では仕事を求める大勢の労働者と手配師の姿を見ることができると、私はここへ来る前日に人から聞かされた。

私は、この街を縦横無尽に歩いた。

「あいりん」と呼ばれる地区にも、もちろん足を伸ばした。

「ホテル○○」という名が冠された簡易宿泊所がやたらと目に付いた。「冷暖房完備」

「カラーテレビ全室設置」

普通の街中にあるビジネスホテルでは、絶対にお目にかかれない客寄せのフレーズを、ほとんどの簡易宿泊所の入り口で見ることができた。

ちなみに、ホテル一泊の料金は、私が調べた限りでは最高で2,400円、一番安いホテルは700円だった。

歩いている途中で、道端にテーブルを置き、大声を出しながら騒いでいる4人組を見かけた。何をしているのだろうと思い、立ち止まって様子を窺っていると、それはバクチだった。私は、ギャンブルに関しては全くと言っていいほど知識が無いので、なんのバクチかはわからなかったが、トランプのようなカードを使用していたので、「カブ」ではなかったのかと思う。

バクチをやっている4人組の表情は生き生きとしていた。

それにしても不思議な街だ。商店街の中では、労働者風の男性、普通の主婦、子供、自転車に二人乗りしているカップル、お婆さん、そして、一昔前のヤクザ風の男など、全く統一感のない、様々な人々が行き交っていた。薬物中毒者と一目でわかる女性がフラフラと歩いていたのが、なぜか印象に残った。

この街に来てから、一時間も経たないうちに、地元の不動産屋の店先に貼られている物件のチラシを真剣に見ている自分がいた。

すでに私は、この街の魅力に取り付かれていたのだ。

ホルモン焼屋

ホルモン焼屋は道の両脇に、まるで、観光地のおみやげ屋のように建ち並んでいた。

「ホルモン一串 50円」「ホルモン 一皿 120円」

一体、どちらの店で食べたほうが得なのだろうと考えたが、どちらにせよ本当に安いことには変わりなかった。

屋台では、中年の男性がタバコをくわえながら、鉄板でホルモンを焼いていた。

「ジュ-ジュ-ジュ-」「ジュ-ジュ-ジュ-」

作品中でも見受けられる、あのホルモンを焼く時の音が食欲をそそる匂いと共に辺りにこだましていた。

安いのはホルモンだけではなかった。

「讃岐うどん 100円」「手作り弁当 250円」etc…

千円札を一枚持っていれば、この街ではたらふく食べられる。

猫を探して

「じゃりン子チエ」の中で、猫という動物は大きな存在であり、それが作品の魅力にも繋がっている。

小鉄やジュニアをはじめ、「じゃりン子チエ」に登場する猫たちはみんな個性的だ。

私は西萩で猫を探した。それも、この西萩散策の目的のひとつだった。

結果として、私が確認しただけで猫は3匹いた。みんな自由に行動していた。屋根の瓦や、休業している屋台のカウンターを縦横無尽に駆け回っていた。

ただ、どの猫も少し痩せ気味だったのが気になった。

周辺を歩き回って

西成区から阿倍野区、そして住吉区まで私は歩き回った。

南海電鉄や阪堺電気軌道は一切利用しなかった。

とにかく、歩かずにはいられなかった。

太子堂の商店街で「小鉄」という名の居酒屋を見つけた。思わずニヤリと笑った。

阿倍野区と住吉区の境付近と思われる住宅地では池を見つけた。ひょっとして「ひょうたん池」のモデルかとも思ったが、それにしてはあまりにも狭かった。

どうやら貯水池らしく、水は緑に濁っていて、数十センチ先も見ることができなかった。しかし、大きな木々が、その池を取り囲むようにあり、犬の散歩をさせている人や、カップルなどもいて全体の雰囲気は悪くなかった。

ヒラメちゃんがここへ写生に来ても、「何を描いたらええんやろ?」と悩む苦労はしなくても済むだろうと思った。

旅の終わりに

見るもの全てが新鮮で楽しかった。それが、どんな些細なことでも思わず興奮していた。

あの「じゃりン子チエ」の世界に入り込んでいるという錯覚が、私をそうさせたのだろう。

ただひとつ残念だった事がある。

伊藤顕氏が「西萩探検隊」で触れられていた、『じゃりン子チエ』のキャラクターを起用した、西成警察署のPR活動の一環であるイズミヤ前の電光掲示板のことである。

私が行った時には、電光掲示板には何も映し出されておらず、ニュース・天気予報や宿主の歯医者のCMはおろか、『じゃりン子チエ』のキャラクターを起用した、西成警察署のPR広告を見る事はできなかった。

結局、電光掲示板に何も映し出されていなかったのかを、確かめる術はなかったのだが、

「宿主の歯医者が定休日(水曜日)だったからかなぁ?」

などと思っている。

(絶対にまた、西萩に来よう)

私は帰路につく電車の中で心の底からそう思っていた。

その気持ちは今でも変わっていない。



Tweet このエントリーをはてなブックマークに追加

LastUpdate 2003/8/1
© 1993-2020 関西じゃりン子チエ研究会 All Rights Reserved.