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■竹本ヨシ江、家出の真相 執筆:伊藤顕
★意外な家出の仕掛け人
 長年疑問に思っていた。どうしても腑に落ちなかった。なぜ、どうしてあのヨシ江が家出をしたのだろうか?
 以前、自分はこの問いにたいして一つの結論に達したことがある。
 「ヨシ江さんは本気だった。」
 本気でテツと別れるために家出したのだと。衝動的に家出をしたわけではない。なぜなら彼女はたんすや鏡台、水屋などすべて持って家出しているのである(2巻94頁)。となれば、一日二日で帰ってくるような家出のつもりではなかったはずである。
 これは普通に考えれば至極当然の成り行きである。働きもしないでバクチにうつつを抜かしているような夫に愛想を尽かした妻が、家を出て行くというのは物語的によくある構図である。
 しかし、おかしな点がいくつかある。第一に,ヨシ江は愛娘チエを扶養能力のないテツの元に置き去りにしている点だ。たとえチエが残ることを望んだとしてもヨシ江は断固としてチエも連れて行くべきである。いくら近所に祖父母がいるとはいえ、テツの元で普通の暮らしができるはずがないからだ。
 そして何より、この夫婦は、どちらかというとヨシ江の方がテツのことが好きで、ヨシ江がテツを捕まえて離さないというような関係なのだという点だ。実際のところ、相手を避けて逃げたがっているのはテツの方なのだ。ただ、テツはヨシ江から逃げ切る自信と根性がないだけなのである(31巻30頁ほか)。
 それでは、なぜそんなヨシ江が家出をしたのだろうか。
 結論から言おう。あの家出の本当の仕掛け人は、誰あろう菊とチエなのである。
★家出作戦の真意
 もちろん、ヨシ江が家出したのには何らかのきっかけがあったのだろう。ある時、ヨシ江が夕食にチリメンジャコを出した時、あやまってホチキスの針を混入させてしまい、テツの喉に引っかかってしまったことがあった(22巻95頁)。その時は、テツは勢いづいて、ハッタリに「離婚じゃー」を連発するのだが(22巻98頁)、ヨシ江が家出をした時も、似たような状況があったのだろう。結果的にテツの「出て行け」の言葉を受けてヨシ江は家出するわけだが(1巻119頁)、果たしてそれだけの理由でヨシ江が家出をするだろうか。
 おそらく、その話を聞いた菊が「テツのため」とか「テツの目を覚まさせるため」など、もっともらしい理由をつけてヨシ江に家出をそそのかしたのだろう。そこでチエが「どうせやるならテッテ的に」と家財道具まとめて持っていかせたのであろう。
 そう考えると、物語序盤のつじつまがすべて合う。ヨシ江が家出している時にテツやチエのことを心配して家に戻りたがっても、チエと菊は「まだ会わん方がええ」と止め(1巻77頁)、もはやヨシ江の気持ちを押さえられなくなると、自分たちの行為を取り繕うために、急にテツを就職させたのである(1巻111頁)。もちろんテツの就職が長く続くはずがない。そんなことは百も承知のはずである。ただ、ヨシ江が帰ってきた時に、テツが職に就いていれば、それで家出をそそのかした大義名分が立つのである。
 さらに、事態が自分達の手におえないことが発覚した時点で、無責任な菊はさっさと手を引き、仲がこじれた夫婦の仲人という立場の気まずさから、しばらく竹本家から距離を置いていた花井拳骨センセに、テツとヨシ江を引き合わせる役を押し付けたのだった。当然ババを引かされた拳骨はシラフではいられずに、一升ビンを抱えてテツの元へ怒鳴り込んだのだった(1巻219頁)。
 要するにいつものパターンである。菊がテツを懲らしめるために、「家出作戦」などと銘打って、チエと共に行動を起こしたのである。その作戦がいつものように破綻をきたし、いつものように周囲を巻き込んだ大騒ぎになったということなのである。
 結果的には大失敗に終わったかにみえる「ヨシ江はん家出作戦」も、実はテツの意識下では大成功を収めている。この家出はテツに、ヨシ江の存在を改めて思い知らしめたのである。テツは、ヨシ江に捕まえられて、もう一生逃げられないと思っていた矢先に、逆にヨシ江に逃げられたのである。思いもよらぬ出来事に、テツは故・花井夫人の霊前では、ヨシ江を「変わった」と嘆き、裏切られたことを訴えている(14巻192頁)。
 テツはヨシ江に再び逃げられないようにこまかい工作もしている。テツがいつも黒いシャツを着ているのはヤクザへの牽制であると同時に、ヨシ江が家出した記念でもあるという(29巻167頁)。つまり、ヨシ江が家出したためにワシは着る物がなくなったやないかという言葉の現れなのだ。テツはこの「家出作戦」により、ヨシ江がいないと着る物もままならない自分を見つけたのであった。
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