西萩探検記(オフ会報告)

伊藤 顕

【目次】

序章 西萩探検隊結成!!

高校生だった私が、はじめて西萩の地にひとり降り立ったのは1994年の初春だった。それから早くも5年の月日が流れた1999年8月7日、4度目の西萩は2人の仲間を伴っての西萩となった。目的はじゃりン子チエの舞台、西萩の探検である。

そう、ここに西萩探検隊は結成されたのである!

西萩探検隊に参加したのは、言い出しっぺの罪で隊長になってしまった私、伊藤と、伯明隊員、桜井隊員の3人である。思ったより人数が集まらず、当初の予測よりも少ない人数だったが、終わった後に思うとこれはこれでちょうどよい人数だったのではなかったかと思う。今回のように多くの移動が伴う探検には最適の人数だったからだ。逆にもう少し人数が多ければ、また違った行程になっていたかもしれない。

3人とも互いに全く面識がないので、待ち合わせの手段をいくつか講じた結果「ナンバの大阪球場前のマクドの2Fで『じゃりン子チエ』を読んでいること」という妙ちくりんな手段が採られた。ちなみにこれ以前に「頭に赤いポッチリをつけてくること」という提案がなされたが、公俗秩序その他諸々の理由によりやむなく取り下げられている。

第1景 ナンバでの出会い

最初にマクドナルドに現れたのは伯明隊員だった。しかしあろうことか肝心の『じゃりン子チエ』を読んでいない。なんということだ。

次に現れたのは隊長たる私。まだ待ち合わせの時間まで少しあるせいか、見渡した限り『じゃりン子チエ』を読んで恍惚状態に陥っている輩はいない。そうでなくてただ『じゃりン子チエ』を読んでいる輩もいない。前者はあまり見受けられないだろうと予測されるから、後者の方を注意して探したのだがやはり見当たらない。

ただ、気になる人物がひとり、赤いアロハをキメこんでいる男。先だって伯明隊員からメールで送られてきた『格好は1,980円の赤いアロハにショートパンツでむっちり型』に符合するように思える。しかし彼は『じゃりン子チエ』を読んでいない。

私はそのアロハの男の前に立ち、その男の顔をきつと見据えて

「天ぷらうどんは!」

という合コトバを投げかけてみた。するとどうだろう、

「だるま屋!」

という返事が返ってきたではないか!!

…となっていたらドラマチックで(?)面白かったのだが、あいにくそのような合コトバなるものは事前に取り交わした覚えがそもそもない。いくらじゃりン子チエを愛する者同士でもこのような合コトバは取り決めなしに通じようがない。

第一、マクドナルドの店内で「天ぷらうどんは!」などと見知らぬ相手に問いかけるのもどうかと思われる。

もとより他の場所でもそのような言動をとる根性は今のところない。今後もないだろう。

やはりここは普通に、

「あの、もしかして伯明さんですか?」

と問いかけることとなった。我ながらつまらない選択をしたもので、せめて

「探検隊の隊員の方ですか?」

くらいのいい方でいけばよかったと今になって思う。

果たしてアロハのその男は伯明隊員であった。

伯明隊員ははるばる東京から夜行バスで大阪入りしたそうだ。しかも過去に西萩の地に足を踏み入れた経験もあるという。相当の物好きだ。かくいう私も相当な物好きであるから、物好き同士話をすると相当マニアックな話になりそうなものだが、さすがに初対面同士ではそこまではいかない。

どこどこから来たのか、西萩に行くのは幾度目であるとか当たり障りのない、それでいてちょっぴりマニアックな話をしているうちに桜井隊員が現れた。今度こそちゃんと『じゃりン子チエ』を目印としてテーブルの上においていたのですぐにわかったようだ。

桜井隊員の姿を見たとき、私と伯明隊員は思わず息を呑んだ。なんと桜井隊員は謎の生命体だったのだ!(意味不明)

第2景 西萩探検隊始動

人差し指が、テーブルの上に開かれたボロボロの地図の一点を指し示した。そこにはまさしく「西萩町」の文字が! いよいよである。

西萩駅のモデルである萩之茶屋駅には、南海難波駅から南海電車に乗る。難波の駅は『じゃりン子チエ』でも「ナンバ」の名で何度も登場しており、単行本12巻224頁(通算第142話・15頁目)に描かれているホームがまさにそのままその感じである。

萩之茶屋までの切符を買ってホームで待つ3人。自分たちの仕事や年齢のことなど『じゃりン子チエ』以外の話もしながら各駅停車を待つ。が、ホームに現れるのは急行、区急、準急といった列車ばかりで一向に各駅停車が現れる気配がない。萩之茶屋駅に停まるのは、難波を出る列車の中でも南海高野線の、しかも各駅停車しかないのだ。

話が盛り上がっていたのであまり時間を気にしてはいなかったが、それにしてもあまりに遅すぎる。不審に思い駅の時刻表をみても、ちゃんと1時間に4、5本の列車が走ってる。しかしホームで立ち話をし始めてからもうゆうに3、40分は経っているはずだ。

「……??!」

しまった、肝心なことを忘れていた。そう言えば以前にも同じように各駅停車が来ないと長いこと待っていた覚えがある。

向かって一番左端のホームの表示を見ると、「2」、一番端なのに2番線だ! 思い出した! 各駅停車が発車するのは今見ているところじゃあない! 2番線のホームを奥に進んだ少し離れたところに1番線のホームがあるんだった!

同じ過ちはとりあえず3度ほどやらないと懲りないという私の本領がこんなところでも発揮されてしまった。単純計算してもあと残り一回は同じことをすることになる。次は大丈夫でもいつか必ずやるだろう。きっと。

1番線に行くと、そこにはちゃんと各駅停車が待っていた。このホームに気づかぬままに一体何本の列車が出発していったのだろう…

車窓に「エベっさん」として有名な今宮戎神社や、釜ヶ崎のひとつの象徴でもある「あいりん労働福祉センター」が過ぎ去り、色々と西萩への思いを寄せようかというところだが、そう思う間もなく早々に萩之茶屋駅に着いた。

西萩の駅は相変わらずだった。時は移り変わってもほとんど変わることのないホームだ。何の変哲もない島式の小さなホームには、古く簡単な作りの柱と、屋根と、いくつかのベンチと、改札へ降りる階段だけがある。駅の周りには新しい建物はほとんど見えず、高架のホームのある位置より高い屋根もあまりない。黒っぽいトタンや瓦葺きの屋根と、入り組んだ狭い路地、パチンコ屋やアーケードの看板が所狭しと何の計画性もなくならんでいる。

初めてここに降り立った時は、このホームのあまりの『じゃりン子チエ』に描かれているそれとの共通性に感動したものだ。その時の自分と同じように、はじめてこのホームに降り立った桜井隊員はどんな心持ちだったのだろう。きっと自分と同じようなものを感じていたにちがいない。

階段を降りると、そこには車椅子用のスロープや自動改札のような『じゃりン子チエ』には描かれていない新しいものがあったが、そこはまさしく「西萩駅」だった。

第3景 商店街を行く

改札を出てすぐ右の萩之茶屋商店街を、奇妙な一行が通り抜ける。痩身長身のそれだけで目立つ男と中肉中背のアロハ男、そして謎の生命体がきょろきょろとしながら雑踏を踏み分けて行く。

旧「西萩町」は、改札を左に出た国道26号の両脇あたりで、商店街は旧「東萩町」にあたる。しかし『じゃりン子チエ』を読む限りはこの周囲一帯をひっくるめて「西萩」としているように見受けられ、まずは小腹も空いてきたので商店街の方へ繰り出してみたのだ。

一見どこにでもあるような小さなアーケードであるが不思議な商店街だ。店先に簡単な屋台が出ており、お好み焼きやヤキソバを売っている。そこまでは、まだほかでもありそうな光景だが、屋台ではなく地べたにござをひいてその上に新聞や雑誌を並べて売っているところには驚いた。やたら自転車が停めてある商店街に、さらにそんな屋台(?)が一ヶ所だけでなくここそこにあるものだから、多少の人でもやたら人通りが多く感じる。

“ひやしあめ”を出す店を見つけた。伯明隊員がさっそくひやしあめを1杯注文した。背の低いガラスのジョッキにいかにも手作りという感じのひやしあめが注がれる。店に飲食するスペースはなく、いきおい店先で立って飲み食いするようになっている。

桜井隊員と自分は自分では頼まずに少しずつもらいのみをした。よく思い出せないが、どこかで飲んだことのあるような懐かしい味だ。生姜と砂糖を煮込んだそのままのような味で、それでいてそんなにくどくはない。

それではと私も1杯頼もうかとも思った。が、それよりも私は同じ店にあった「カレーまんじゅう」とかいうものの方に惹かれてそれを注文してしまった。肉まんのカレーまんなどとは違い、今川焼のような皮に、何故かキャベツの千切りがメインの具となるカレーが入っている。皮はほんのり甘く、それでいて中身はカレーで、キャベツが入っているために妙にしゃきしゃきしているこれまた不思議なものだった。この店のオリジナルだろうか。

桜井隊員はというと、その店の、ジョッキをすすぐのにためてある水で軽くすすぐだけという衛生面にひいてしまったらしく、結局何も頼まなかった。私はそんなこといわれるまで気がつかなかった。さすが謎の生命体は目のつけどころも違う。

商店街にはいかにも労働者風の男が多いが、みんながみんなというわけでもなく、買い物のおばちゃんや、子供連れで自転車で通りすぎるオッちゃんなどさまざまである。

そういえば大阪の南の玄関口、天王寺周辺ではホームレスの人がいると思えばその横を今風の女子高生やアベックなんかが特に何事もなく通りすぎていて、さまざまな環境の人がごっちゃになって生活しているのが印象的だった。西萩商店街も、一見日雇い労働者の町に見えて、それでいて普通の家族連れが普通にいる、私には不思議な光景であった。

第4景 女性の生き方、考えてみませんか?

マサルのオバはんが喋っている。喋っている。喋っている。喋っている。

ヨシ江はただただ相づちを打つばかりである。チエとマサルはもう、うんざりした顔で嵐が過ぎ去るのをじっと待っている。

マサルのオバはんが喋っている。喋っている。喋っている。喋っている。

「考えてみませんか?女性の生き方」

西萩の花園交差点の一角にある歯医者の上には、大きな電光掲示板がある。ここでは西成警察署のPRに『じゃりン子チエ』のキャラクターが使われている。1本につき1分足らずの短いものだが、どれも『じゃりン子チエ』のキャラクターを良くつかんでいる内容で、それでいて最後に上に挙げたような強烈な“社会的”オチが待っている。

全部で10パターンはあるだろうか。どれも実に面白い。これらはニュース・天気予報や宿主の歯医者のCMの合間に流れるのだが、果たしてどっちがメインなのだろう?

我々探検隊にとってはもちろん『じゃりン子チエ』ネタの方がメインである。

最初は交差点で信号待ちの人たちに混じって見ていたのだが、日頃の行いからか、探検当日は実によく晴れてくれたので、夏の日差しが容赦なく照りつけ、とにかく暑い。そこで電光掲示板のすぐ向いにあるスーパー、イヅミヤの中に入って入口のガラス戸越しに見ることにした。

我々はこれで涼しいからいいが、はっきりいって出入りに邪魔である。店側も入口に突っ立っていられたらさぞ迷惑だろうが、そんなことより我々は電光掲示板に夢中になっている。しまいにはもっといい条件で見ようとスーパーの2階へと、3階へとどたどたと駆け回ったのだが、入口以上の好位置は見つけられなかった。

西萩に行ったら、ぜひともここに立ち寄るのがいいと思う。場所は国道26号花園交差点、イヅミヤの東向かいだ。地下鉄四つ橋線花園町駅を降りて地上に出た、まさにその場所である。

次に西萩を訪れるその時、その人のために、最初に挙げた“マサルのオバはんバージョン”以外はここでは挙げないようにしておこう。決して私が他の内容を良く覚えていないからここに書かないわけではないと思いたい。

第5景 なぜか関空の3人

なぜか探検隊は関空こと関西国際空港に現れた。なぜか。なぜならばそこに『じゃりン子チエ』があるからさ。

『じゃりン子チエ』ある所、探検隊は出没する。しかし『じゃりン子チエ』には伊丹(大阪国際空港)は登場したことがあるが、関空はその「か」の字すら出てきたことはないはずである。それでは我々はどうして関空にいるのだろうか?道に迷って行きついた先が関空だったのだろうか?(ここでツッコミが入る予定)

そこにはあるのだ。じゃりン子チエグッズが!

関空にはじゃりン子チエのテレカがある、関空には「じゃりン子チエまんじゅう」なるものがある。

そういう噂を聞きつけたからには、行くしかないっしょ、関空へ!…というわけでやってきたぜい関空。飛行機なんか目もくれてやらない。やるもんか。

そんなものホントにあるのかと半信半疑で土産物屋をうろつくとさっそく発見、関西じゃりン子チエ研究会でも人気の高い「じゃりン子チエキーホルダー」だ。そういえば伯明隊員は小鉄のキーホルダーをしっかりとかばんにひっさげての登場だった。よく知られているチエ、テツ、小鉄の3種に加え、ここにはジュニアのキーホルダーまであった。

3人のお買い上げ。私は全種類を一つずつ、桜井隊員はなんと2つずつ、伯明隊員は唯一持っていないというジュニアをそれぞれ購入。まいどおおきに。

探検隊の過ぎ去る所、じゃりン子チエグッズは残らない。

続いて「じゃりン子チエ お好み焼きせんべい」なるものを発見。これがまた不思議なせんべいで、食べ方には「マヨネーズつけて」「ソースかけて」などと書いてある。もちろんそのまま食べてもいい。味のほうはというと、なんだか萩之茶屋商店街で食べた「カレーまんじゅう」にどことなく似ている。ほんのりとした甘さとここではソースやマヨネーズといったものとのかもし出すハーモニーが探検心をあおり立てる。ほんとか?

これももちろん購入。おおきにありがとさん。

テレカも見つけた。3種類を3人とも購入。またきてやー。

果たしてこれまでに、一度にこんなに売れたことがあったのだろうか。あったとしたら是非とも探検隊に加わってもらいたい逸材がここにいたことになる。そして周りの目には我々の行為がどう写るのだろうか。もちろん、硬派な探検隊員はそんなことは気にしない。

このほかに、じゃりン子チエグッズというわけではではないが、チエのものに良く似たポッチリも見つけた。さすがにこれは買っても使用用途が見当たらないためか3人とも購入を見合わせている。それとも買っておいて今度こそ待ち合わせの目印にするべきだったかもしれない。

第6景 総移動距離100km以上

住吉から、映画「じゃリン子チエ」の冒頭にもちょこっと登場する路面電車に乗って新世界入りする予定だったのだが、乗った電車があろうことか住吉には止まらず通過してしまい、結局路面電車はなしになった。

これで今回何度目の電車に関する“御愛敬”だろう。それは第2景で紹介した難波での列車の乗り忘れからはじまる。

そして萩之茶屋から関空に向かう際、萩之茶屋駅に停まる列車は関空方面には行かないので天下茶屋か岸里玉出で乗り換えなくてはならなかったのだが、しゃべりに夢中になって一行は暴走、気が付いたら帝塚山まで行っていた。これが2つ目。

続いて帝塚山で駅員に見逃してもらって岸里玉出まで引き返したはいいが、乗り換えがやたら遠く、しかもこの駅にはぜんぜん列車が停車しなかった。天下茶屋まで戻るべきだったと後悔。これで3つ目。

なんだか電車に乗るたんびにポカをやらかしている。

そろいもそろってアホ。

家に帰ってから気がついたのだが、何と総移動距離が100kmを超えている。電車での移動が、難波→萩之茶屋、萩之茶屋→帝塚山、帝塚山→岸里玉出、岸里玉出→関空、関空→天下茶屋、天下茶屋→動物園前(駅名が多く出てきてややこしい。暇な方は地図を広げてみてほしい)の6回。それに加えてちょこちょこと歩きまわっている。こんなに動き回るオフ会はかつて聞いたことがない。いや、これはオフ会ではない。そう、我々は西萩探検隊なのだ。

アホついでにもう一つ。よくよく考えたら朝に難波で待ち合わせてから、午後の3時過ぎるまでほとんど食事をしていない。痩せの大食いの自分はまさに倒れそうだった。いや、こんなことではへこたれない。そう、我々は西萩探検隊なのだ。

第7景 新世界、そして終幕

「カンパーイ!」

ここは、アニメ版「じゃりン子チエ」の舞台となったジャンジャン横丁。

「ジャンジャン」とは、かつて西萩のとなり、飛田というところに遊郭があった頃の三味線の音、いわゆる「見世清掻(みせすががき)」の音から由来するそうだ。

ホルモン焼屋ではないが、名物の串カツ屋での打ち上げを兼ねた待望の食事タイムである。とりあえずビールで乾杯して、空腹に任せてどんどん注文する。

串カツ、シシトウ、レンコン、たまご、アスパラ、しいたけ、とんかつ…

驚いたのが、私の感覚では“串カツ”といえばイコール豚肉なのだが、ここでは“串カツ”イコール牛肉なのだ。

関西ではどちらかというと肉といえば牛肉がメインで、東日本ではあまり見かけない他人丼(鶏の代わりに牛肉がはいっている親子丼)のようなものがあるというのは情報として得てはいたが、これはノーチェックだった。

一番嫌いな食べ物は「牛肉」という私にとってはまさにカルチャーショックゥ!腹減ってたせいもあってか、久しぶりにおいしくいただけましたけどね。…というか、

これはうまい!特に野菜類が最高である。

ネタがいいのか、ソースがいいのか、店の雰囲気がいいのか、大将がいいのか、タダで食えるキャベツがいいのか、メンバーがいいのか、注文をちゃんと聞いているのかいないのか疑わしい店のあんちゃんがいいのか、はたまた桜井隊員がトイレに入るのに妨害を企てたオバちゃんがいいのか、それら全てがいいのか、とにかくうまかった。皆アホみたいに食った。

通天閣にも折角だから登ろうとしてみた。してみたけど、やめた。600円の入場料をけちったのだ。それに、通天閣には登らないまでも、もう充分に楽しんだのだ。

西萩探検は終わりに近づいていた。新世界を歩き、天王寺公園の、ヒラメちゃんが表彰を受けた美術館(これもほとんどそのまんま)を外から眺め、露天カラオケという奇妙な光景も楽しんだ。ベンチで将棋を打つオッちゃんらもいた。不思議ではあるが、ここではいつものありふれた光景である。

天王寺公園にはじゃりン子チエの主舞台であるひょうたん池など様々なものがあるのだが、それはまた次回のたのしみということにした。

あべちかで探検隊は解散した。地下鉄の改札で桜井隊員、伯明隊員と再会を誓った。いつの日か必ず西萩探検隊としてまた再び西萩の地に降り立つことを。

あべちかの本屋、駸々堂アベ地下店にあったじゃりン子チエコーナーの、宣伝文句として書いてあったことばをもって探検記を締めくくりたいと思う。

西川のりおが死んだら、テツの声はだれがやるのだろう?

…死なすな。



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LastUpdate 1999/11/1
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