はるき悦巳の秘密

伊藤 顕

【目次】

はじめに

はるき悦巳なる人物はいったい何者なのでしょう。それはいまだ大きな謎に包まれています。世間と広く関わることの嫌いなこの人物は、めったに公の場に姿を見せることがありません。たまに取材が来ても、その多くは断っているようです。

そのためにはるき先生がどのような人物であるか知る人は少ないのです。文献などを調べても、取り出すことのできるる情報はほんの少しです。

そこでここでは「はるき悦巳の秘密」と題して、はるき先生の数少ないコメントなどから、はるき悦巳とはいかなる人物かをひもといていくことにしましょう。

仕事について

そやから、働くのがニガ手なんですわ
(「じゃりン子チエ」第19部12話より)

話を聞く限りでは、単行本「じゃりン子チエ」第1巻の巻末で小池一夫先生が書いているとおり、まさしく「はるき悦巳はなまけものである」という印象を受けます。

「じゃりン子チエ」のテッちゃんのように、仕事が嫌いなのとはちょっと違うようですが、はるき先生は「嫌なことはしない。食えたらどんな仕事でも良い」と言うように、仕事をあくまで生活手段ととらえ、生きがいとはしていない人物のようです。

戦後のいわゆる団塊の世代、働くことを美徳とした世代に生まれながら、奇特な人物といえるでしょう。

最後に取り上げたコメントから、「じゃりン子チエ」誕生の糸口が見えてきます。

そうです。テッちゃんのモデルは、ほかの誰でもない、はるき先生自身なのです。

漫画家になって

芸術から一番遠い話してるなあ…
(「じゃりン子チエ」第13部2話より)

はるき悦巳先生は、多摩美術大学では油絵科に入り、「ベニヤ板3枚分」もあるというような大きな絵を描いていたそうです。しかし、卒業後にはそんな大きな絵を描くわけにもいかず、絵を縮小することばかり考えていたそうです。

そこで、ただ単純に「絵を描くのがすき」というのと、「食べるため」という二つの条件の上で利害が一致したために漫画家になったそうです。働くために絵を描くのをやめたり、絵を描くためだけに働くのは嫌だったそうです。

しかし、最後のコメント。これを長い間ずっと盲目的にとらえ、絶対終わらない漫画だと信じていたのですが、「じゃりン子チエ」はついに最終回を迎えてしまいました。「じゃりン子チエ」の最終回は8月2日の朝日新聞夕刊で全国的に大きくとりあげられました。

これはかつてどんな漫画においてもなかったことではないでしょうか。

価値観について

男は夢ばっかり見てますからな。…女にくらべたら、男の夢なんてつまみ食いみたいなもんですわ。
(「日の出食堂の青春」第6話より)

この章では、「じゃりン子チエ」に限らず、はるき先生の作品に一貫として流れる、女性についての価値観をうかがい知ることができます。

「じゃりン子チエ」のある話の題名にある、「夢見がちな男たち(第8部10話)」であることは損であるとし、より現実的な女性の生き方を理想としているようです。

しかし、そういうはるき先生自身、「夢見がちな男」の一人であり、またそれゆえにことさら強調し、作品の中にもその考えが自然ににじみ出ているのでしょう。

「じゃりン子チエ」でテッちゃんがよく、「根性」という言葉を連発するのも、テッちゃんが「根性」を持った生き方をしているからでなく、ヨシ江さん達女性が持つような「根性」にあこがれる思いが、テッちゃんに「根性」という言葉を連発させているのでしょう。

西萩について

この辺はあかんなあ。変なオッさんとかオバはんが来てすぐ打ちたがるから。
(「じゃりン子チエ」第15部3話より)

はるき先生は中学一年のときまで西萩にすんでいたそうです。その後住吉大社で有名な住吉に引っ越し、大学進学の際に上京するわけですが、西萩にいた頃が最も楽しかったんだということを、これらのコメントからうかがい知ることができます。

そのせいでしょうか、はるき先生の作品のほとんどが、当時の釜ヶ崎一帯を舞台とし、その主人公達は、はるき先生が西萩で過ごした頃の年齢となっています。

「じゃりン子チエ」に出てくる「ひょうたん池」のモデルは、天王寺公園内にある河底池だということを明言していますが、実際の河底池には、「じゃりン子チエ」の映画にも描かれているように赤い橋が架かっています。それに河底池には貸しボートはありません。

しかし、はるき先生が少年時代をすごした頃、先生は1947年生まれですから、1955年前後の河底池には橋について調べてないのでわかりませんが、少なくとも貸しボートは存在したようです。

趣味について

今度の事で分ったんやけど、人間はシュミを持たんといかんなあ。
(「じゃりン子チエ」第18部9話より)

たばこは一日80本、起きている間はたばこを離さないというヘビースモーカーのはるき先生ですが、お酒はからっきしだめで、「酒飲んだ状態いうのはようわからんのです」といいます。もしかしたらテッちゃんがお酒を飲めないのもこのあたりからきているのかもしれません。

レコードにしても、本にしても、何回もこだわって聴いたり読んだり出来るものが好きだそうで、「じゃりン子チエ」自身が、読めば読むほど面白い漫画だというのも、はるき先生の好みからきているのかもしれません。

はるき先生が、「やっぱり、ああいうの描きたい」というつげ義春氏の漫画。言葉どおりはるき先生の作風に投影されています。デビュー作「政・トラぶっとん音頭」ではとくに背景に影響が見られますし、「じゃりン子チエ」でも夢のシーンなどにその影響の強さをかいま見ることが出来ます。

猫について

ええなあ、猫は…毎日遊びまわって、おなかすいた時だけ帰ってきたらええんやから。
(「じゃりン子チエ」第26部7話より)

はるき先生の漫画を語る上で、忘れられない要素が、「猫」でしょう。

デビュー作「政・トラぶっとん音頭」の「トラ」、「ドンチャンえれじい」の「お父はん」、そして「じゃりン子チエ」の「小鉄」と「ジュニア」。みんな人間以上に豊かな個性を持ったキャラクターとして描かれています。

個々の猫達についての話は、後段の「登場人物について」でふれることにして、はるき先生は、猫を”自由気まま”の象徴のようなまなざしで見つめているようです。

「じゃりン子チエ」でも、日本中を旅するのは主人公のチエちゃんではなく、猫達なのです。

コメントで「一匹だけ助かっ」たといっていた猫、「チビ」という黒猫だそうですが、西宮に引っ越してしばらくして死んでしまったそうです。「チビが死んだのがこたえていて、もう猫は飼うまいと思っています。」と当時コメントしていましたが、

猫好きのはるき先生のことですから、今もきっとどこからか迷い込んできた猫を飼っているのでしょう。

チエについて

ふう…うちは日本一不幸な少女や。
あれっ…こおゆうのも久しぶりやな。
ウチもだんだんペース取り戻して来たんかな。
(「じゃりン子チエ」第31部8話より)

「描きやすいんはヒラメちゃんとかマサルとか。チエが描くのに難しいといえば一番難しいですね。」というはるき先生ですが、ここでいう「描く」とはもちろん描画のことではなく心理描写のことをさしているのでしょう。

大人顔負けのバイタリティーあふれるチエちゃんですが、その裏に子どもらしい一面ものぞかせます。意外にはにかみ屋であり、またテッちゃんのつかう下品なことばに赤面したりします。チエちゃんはやっぱり子どもであって、決して大人の世界を理解しているわけではないのですから。

ほかの登場人物について

名脇役、小鉄とジュニア。世間でじゃりン子チエのかくし味と言われている(誰がゆうてるねん)。
(「じゃりン子チエ」第26部7話より)

意外と、マサルについてのコメントが多いのに驚きます。テッちゃんとともに、はるき先生が、自分に似ているところがあるというキャラクターだからでしょうか。

キザな、真面目なセリフを一手に引き受けてしまっている猫達。ノイローゼになるのも無理ないかもしれません。かといって、はるき先生が猫に対して冷たいわけではありません。油断すると猫達が主役をはってしまうほど、はるき先生は猫達に十分な愛情を注ぎ、また注目しているのです。

登場人物について

ただ、登場人物には、世話になったなあとゆう、なにか負に近い思いがあります。なんなんでしょう。
(「じゃりン子チエ」あとがきより)

この章以降は、はるき先生の、作品や登場人物に対する思い、こだわりのようなものについてせまっていきたいとおもいます。

はるき先生は、「大阪弁やと、セリフがなんぼでも出る」「やりとりを描いているうちにストーリイが出来上がっていく」といいます。まるで登場人物たちが、自らの意志で動き、考え、しゃっべっているかのように。はるき先生はそれを漫画という媒体を通して見分録として記している、といった感じなのでしょうか。

主人公の目を通した世界ではなく、物語はあくまで叙事的に進んでいきます。そのように、登場人物ひとりひとりに同じようにスポットライトが当てられているぶん、余計に登場人物たちみんなの生活の息づかいがリアルに感じられるのでしょう。

作品について

…誠実なマンガやなあ。
(「じゃりン子チエ」第7部1話より)

その多くが大阪下町を舞台にくりひろげられるはるき先生の作品。そのことについては「西萩について」の章で詳しく述べてありますので、あらためてここではふれませんが、物語自体もはるき先生の周囲の「日常」をもとにしたものが大部分を占めるようです。

それは、大阪下町を舞台とした作品ほど顕著に現れています。逆に言うと「どらン猫小鉄」、「オッペラ甚太」など、大阪下町を舞台としていない作品ほど、非「日常」的な、創作の部分が多いということになります。

なお「じゃりン子チエ」を含めた各作品に対する、はるき先生のコメントは「はるき悦巳作品全データ」をご覧ください。

おわりに

いかがでしたでしょうか、はるき悦巳なる人物の片鱗が少しでもうかがえたかと思います。しかし、ここで取り上げたコメントはあくまではるき先生の一面であり、また、コメントした時期も「じゃりン子チエ」ブームの頃のものばかりなので、それ以降のことはあまりわかりません。

はるき先生は非常に照れ屋なところがあり、あまり表に出たがらないのもその辺に理由があるようなので、このように「はるき悦巳の秘密」などということをやるのは本人にとってはなはだ困るというところかもしれません。

できるだけはるき先生の言わんとするところをくみ取るよう努力したつもりではありますが、なにぶん未熟者ですので、不行き届きなどあるかもしれません。

「やはり自分はアホやから、ほめられるとうれしいし、友達に『おまえの作品のこと、こんなふうに書いておったで』といわれると、なんで自分のところに送ってくれんのかなあと腹が立つわけ。」(灰谷健次郎対談集より)などといわれたら、ただただ平謝りするしかないわけです。

なお、各コメントの漢字の振り方や句読点の位置等は、文章のバランスをとるために、原典と異なるところがあります。ご了承ください。

さいごに、あくまでここでは、はるき先生の考え方などから、作品を読む1つの方向性を示したに過ぎません。けっして、作者がこういうのだからそう、ということはありません。読む人、読む時々などによって作品の受け捉え方が違ってよいのです。

そこにくりかえし読むことの楽しさがあるのですから。

はるき先生も次のようなコメントを残しています。おそらくそのようなつもりで言ったのではないと思いますが、まるで私たちへのエールのように。

「すでに出来上がっている『じゃりン子チエ』は、人がどんなふうに解釈しても、まったく構わない」
(「思想の科学」85年9月号「じゃりン子チエ」の猫/左方郁子)

[資料] はるき悦巳プロフィール

漫画家。1947年5月28日大阪市生まれ。男性。本名は「はずかしい」ので非公開とのこと。

高校卒業まで大阪で育ち、大学進学とともに上京。その後、1983年に「じゃりン子チエ」ブームにおける周囲の喧騒に嫌気をさし関西に舞い戻り、兵庫県西宮へ移り住む。

家族は大学で知り合った妻と、「じゃりン子チエ」ブームの真っ最中、1980年6月25日に生まれた長男がいる。

1978年「政・トラぶっとん音頭」で漫画家デビュー。

代表作はいうまでもなく「じゃりン子チエ」。1978年9月28日に「週刊漫画アクション」誌上で、単発の読み切りとして出発、その後好評につき何回か単発で登場した後、翌54年3月より正式に週刊連載開始、大ブームとなる。以降、足かけ19年間、1997年8月5日まで連載された。これは週刊連載としては2番目に長い連載期間である。

Tweet このエントリーをはてなブックマークに追加

LastUpdate 1998/5/1
© 1993-2020 関西じゃりン子チエ研究会 All Rights Reserved.