【目次】
この「チエちゃんの持つ、望みと将来像」を述べるに当たって少し注意点があります。
まず、当論文の内容、解釈はあくまで私見である、ということをお伝えさせて頂きます。
それゆえに「これが正しい」というような解釈ではないのです。人によって受け取り方は様々なので、百人いれば百通りの解釈があって然り、むしろ私はその解釈が違うという事がなにより面白いのではないかと思うのです。
また、本文の構成が少々特殊で、「結論」から書き出しています。じゃりン子チエ本編でチエちゃんと拳骨の以下の会話をみて「結論」から書き出そうと思いました。
チエ「説明したらちょっと長なるで」
拳骨「そぉゆう時は結論からゆうんや」(第328話)
そう、最大の理由としましては、ちょっとばかり長い論文だから、です‥・
『じゃりン子チエの秘密』の最後の問いと答えで結論は出ている。
Q59 チエの夢はなんだろうか?
答 「ウチはいつでも普通の少女にもどりたいんや」(『じゃりン子チエの秘密』p217)
まさしくこの通りだと思う。「お父はんとお母はんとウチ」という3人のごくありふれた「家族」として生活していけるようになったときこそ、チエちゃんは「普通の少女」に戻れるのだ。それがなによりも「小学5年生」のチエちゃんの願っている「シアワセ」なのだ。
どれほど不幸を嘆いても、騒動に巻き込まれようとも、それでもチエちゃんの中の「本心」は常にそれを求めていると思うのだ。
チエ「どおや……シアワセか」
テツ「なに~」
チエ「無理すな いつもウチと遊びたがってるくせに」
テツ「今日は遊びたないんじゃ」
チエ「簡単なことやろ」
テツ「なに!?」
チエ「そやからシアワセになるの」
チエ「ただゴハン前向いて食べるようになっただけでウチとこお仲良う一緒に歩けるんやで」(第176話)
この言葉はチエちゃんがチエちゃん自身に言っているような気がするのだ。
「家族揃って食事ができる、ごくありふれたシアワセなんやで」と…
第14話「同居予行演習」辺りを読んだときによく分かったが、チエちゃんとテツとヨシ江さんの竹本一家は皆が皆、家族思いだ。ケンカ腰な会話が多くみられるが、本当にお互いを大事にしている。大切に思っている。それだけにチエちゃんはテツがケンカをするところなどは当然よく思っていない。レイモンド飛田のボクシングジムの件でおバァはんは「たいがい世の中ナメてますのや」「コテンパンにやられて眼ェさましたらよろしいんや」などと言っていた。
マルタを不良にしようとしていた時には「世の中にはなんぼでも強いもんがおるゆうのテツに分からしますのや」と決意し、おバァはんとチエちゃんは作戦を立ててテツをこらしめようとするが失敗してしまった。毎度毎度、チエがテツにケンカをけしかける時は何かしらテツをこらしめ、あわよくばケンカ癖を治す、などといった目的があるのだ。しかしながら第154話「知恵の輪騒動(5) みんなでひょうたん池へ」を読んでいて何か違和感を感じた。特に最初の部分の会話、学生が団体でひょうたん池でテツを待っている、とテツに伝えると、テツがひょうたん池へ走っていった、そのあとのチエちゃんとヨシ江さんの会話はこうだ。
ヨシ江「そんなことゆうたらお父はん行くに決まってるやないですか」
チエ「ちょっとしゃべる順番まちごうたんや」
ヨシ江「順番…て」
ヨシ江「あんたそおゆうことはお母はんなんかよりずっとじょうずなはずやのに何でまた…」
チエ「…なんでやろ あせったんかな 最初にテツーえらいこっちゃゆうたらついつい…」
ヨシ江「ついつい…て チエ分かっててゆうたんやないですか」
ヨシ江さんの言うように、チエちゃんは分かっていてわざとテツをケンカにけしかけたのだが、チエちゃんが今回のケンカそのものを公認したように見えるのだ。では、何故か?
その明確な理由や目的が本当によく分からないのだ。テツには日頃からヒドい目にあわされているのだし、おバァはんの言うようにテツは一度痛い思いをすればいい、と思ったから?
団体で店にやってきて、客が逃げた(もしくは店に入れなかった)ため、その日は商売上がったりだったのだから、テツに制裁を加えてもらおうとしたからか?
もっともらしい理由や目的はあるといえばあるのだが、どうもピンとこない。しかもこのケンカは、途中からおバァはんと一緒にチエちゃんも参加してしまった。この時点で、チエちゃんはどうも本来の目的を見失ってしまったようだ。いや、ひょっとするとこの時点で目的が達成されている、とも見受けられるのだ。学生の団長がテツを尋ねてきた時、ヨシ江さんをみて一目惚れ(?)してしまい、チエちゃんにこう聞いている。
団長「き…君…今のは」
チエ「え…!?」
団長「今の人はなんだね」
チエ「なに…て今のはウチのお母はん」
団長「お…お母はんとゆうのはその…つまりテツさんとゆうのが君の父親だとすると」
団長「今の人はテツ…さんのどおゆうことだね」
チエ「どお…て いちよう そのテ…お父はんの嫁さんです」
団長「嫁さん!!」
チエ「ちょ…ちょっと団長さん どないしたんそのふるえ方」
チエ「ちょっと」
団長「許せーん」
とすると、最後の「許せーん」までを聞いたチエちゃんからしてみれば、納得がいかない。誰がなんと言おうとチエちゃんの父親はテツであり、母親はヨシ江さんなのだ。それが許せない、と言われたチエちゃんは「何が許されへんねん」というような気持ちなのである。内心、腹を立てたチエちゃんはテツがケンカをしに行くように仕向け、学生達に制裁を加えようとした、という理由が考えられる。それほどまでにテツとヨシ江さんが自分の親でなくてはならないのだ、他の誰でもなく、この二人でなくてはならない。その気持ちがあったからこそ、同居予行演習のとき、チエちゃんはこの二人をどうにか仲直りさせようと行動したのではないだろうか。
チエちゃんはテツのことを普段からどう思っているのだろうか?
チエ「元気な時はウチ テツなんかどおなってもええ思ってるんやから」(第135話)
チエ「いっぺん 一人で生きる練習しといたらええんや」
チエ「いつかはウチもお母はんも居れへんようになるんやから」(第169話)
チエ「ウチ テツのこと考えんですむのは学校に居る時だけなんやで~~」(第356話)
テツ「ワシでなかったらおまえら今頃 借金のカタに売りとばされてるとこやど」
チエ「根性あるんやったら売りとばしてみい 明日から誰に面倒みてもらうんや」
チエ「覚悟しときや 今度お母はんが家出する時はウチも一緒やで」(第700話)
というように、チエちゃんはしょっちゅう関わりを絶ちたがっているようなことを口走る。普段の二人は一見、かなり冷えきっているように見えるのだが内面では切っても切れないほど深い関係である。本人は否定するのだが、チエちゃんは根っからのテツの保護者であり、それは周囲の者達の言うことからも読み取れる。
テツ「こら~~不良――― たまには父親のゆうこと聞かんかい」
ジュニア「おい 父親やて」
小鉄「父親の意味が逆転するなあ」(第75話)
レイモンド飛田「おまえがもおちょっとしっかりしとったらテツはあないなれへんかったんとちがうのかーー」
チエ「ウチが親とまちごうてるんとちゃうか」(第103話)
結局、途中からチエちゃんも「長いことテツの保護者やってきた」(第208話)と自分から言うようになる。
ではその状況をチエちゃん本人はどう捉えているのだろうか?
チエちゃんはなんだかんだと言いつつもテツと付き合っているようだ。家でカブをしたり(38話 53話他)、チエのほうからテツにつきまとったり(176話)、更にはチエの方からテツに絡むこともあり、しかもかなり楽しそうに見える(第723話)。その他にはゴネるテツをなだめるためにうどんやカキ氷やサイダーをオゴること数知れず…
また「元気なときはどうなってもいい」が「元気ではない時」はキチンと看病もする。
テツが風邪を引けば医者を呼ぶし(6話)、寝小便のプレッシャーからくる放心状態の時などは店をやっていても目を放さず心配していた(419話)。
テツが闇討ちに遭い怪我をして帰ってきた時(751話)、チエちゃんの発した次のセリフにはチエちゃんのテツに対する思いがよく現れているかと思う。
チエ「テツ……氷水にタオルつけてあるから」
テツ「うっ す…すまん…」
小鉄(すまんなんて……)
チエ「大丈夫か 早よ元気にならんとあかんで」
テツ「やさしい言葉かけんといてくれ 気合が抜けるわい」
チエ「気合が抜けてもええ ウチがついてる 心配せんでええ」
チエ「テツはウチが守ったる」
テツ「うっ‥ ううっ」
小鉄(なんや テツ泣いてるんやないやろな)
普段は親の意味が逆転しているが、いざというときは頼りになるようで、ヒラメちゃんが春休みの宿題でチエちゃんの店に職業体験に来た時テツが店をやっていて「やっぱり男が居ると違うなぁ」とシミジミ思ったり(157話)、お好み焼き屋でバイトしているときに下駄焼きを注文してきた不良を撃退してもらった時(595話)などがそうだろう。
結局のところ、この二人が離れて暮らすようなことは無いのではないだろうか。
現状の小学5年生のチエちゃんではなく、その先はどうなっていくのだろうか?
「じゃりン子チエ」本編の中で時々チエちゃんが言うセリフから窺える将来像について、ちょっとばかり考察してみたいと思う。
チエ「お母はん ウチ中学生になったら洋裁教えてや」
ヨシ江「洋裁!?」
チエ「ウン…ウチ手に職つけるんや」
チエ「お母はんみたいに洋裁できたらもしもの時に生きてゆけるやろ」(第4話)
洋裁学校の先生をやっているヨシ江さんに、チエちゃんはヒラメちゃんを誘って洋裁を教えてもらったこともある(第365話)。普段からよく「レディー」という言葉を使うチエちゃんだが、およそ「レディー」という言葉の響きからかけ離れた言動が目立つ。「ウチはレディーやねんから」と言うにしても本人は自覚しているのだろうか…
第1話から早速「ウチは男運が悪いねやろか ロクな男が集まらん」と嘆いているが、その第1話のラストでは「ウチがお嫁に行ったら」とも言っている。チエちゃんは将来的には結婚するつもりなのだろうか?
「ウチお嫁になんか行かへんもん」「ウチ世の中の男には絶望してるねん」(第4話)と言っている割にマサルに遺伝の話をされた時(第73話)、テツと自分の顔を見比べながら「あんな顔になったらお嫁に行けんもんな」といった心配もしている。まだ小学5年生のチエちゃんの将来は先行き不透明なのかもしれない。
チエちゃんがそのマサルの話していた遺伝のことで落ち込んでいた時におバァとテツのいつものやりとりをみていて「ウチも大人になったらマサルに逆エビかけるんやろか」と考え込んだりした(第75話)が、こっちのほうが「レディー」のイメージからは程遠いがなんだか「らしい」感じがするのは私だけではあるまい。
この先もヒラメちゃんやマサルが‥・ん?そういえばこの二人にも、いくつか将来像を語っているシーンがあったような‥・
本筋から話が逸れるのだがちょっとヒラメちゃんとマサルについても考察してみたい。
チエ「ウチのお母はんなんかヒラメちゃんは絵描きさんになると思てるんやから」(第525話)
菊「ヒラメちゃんきっと絵描きさんになりますわ」
チエ「そおゆうたらウチらそんな話もしたわ」
(中略)
里子「ヒラメちゃんはきっと絵描きさんになるわね」
ヒラメ「エッ!?」
チエ「うん…ウチは前からそう思てるねん」
ヒラメ「そんなん…ウチ絵ェ好きやけど そんなこと考えたことないわ」
チエ「ヒラメちゃんは控え目やから」
里子「そうね…」
ヒラメ「そんなことない ほんまにウチ…」(第620話)
絵を描くことが趣味のヒラメちゃんだが、将来は「絵描きさん」になるのだろうか?
第156話で、担任の渉が春休みの宿題を兼ねて「普段と違うこと」をやってみて作文を書きなさい、と言われてすぐに「チエちゃん」で一日店員をやろうとしたヒラメちゃんだが、これは他に良い案が思いつかなかったからというわけではないようである。
というのも女は働かないといけないという考えがあってのことだ。
ヒラメ「ほんま…女は働かんといかんわ」
チエ「何…!?」
ヒラメ「そやからウチのお母ちゃん働いてないやろ」
ヒラメ「それでいっつも家に居るから この頃マサルのお母はんしょっ中来るんやで」
ヒラメ「チエちゃんとこのお母はん働いとって良かったわ」
チエ「そおかな…」
ヒラメ「そらそおやわ そやないと毎日マサルのお母はん来るで」
ヒラメ「そやからウチはもお大人になったら絶対働くことにしてん」
チエ「……」(第219話)
ヒラメちゃんの言い方から察するに「絵描きさん」になる、というつもりはないらしい。もし「絵描きさん」になるのなら「働く」という表現はちょっと違う気がするのだ。もちろん、「絵描きさん」になってお金を稼ぐようになったら立派に「働いて」いるのだが普段の表現からいくと「○○になる」といった言い方をしそうなものである。
また、最後のチエの沈黙にも深い意味があるようだ。
この第219話の話ではお化け屋敷を公園で開くという話で、マサルの母が役所の知り合いを通じて公園を借りるという流れでヒラメちゃんの母親のところへ来るようになるのだが、ヒラメちゃん自身がそれを良く思わなかったのだ。だから将来、自分は働いて余計な人付き合いはしたくないという意味を込めてチエにその話をしたのだが、普段から店を経営して人と接することが当たり前のチエにしてみれば、ヒラメちゃんのこの発言はどこか寂しいなと感じたのではないだろうか?
なぜならヒラメちゃんは「ウチ将来チエちゃんと一緒に○○したいねん」といった話をしないからだ。いつかは自分も余計な人付き合いの中に含まれるのでは、と感じたかもしれない。
引き続き、余談ですがマサルについて。
マサルは将来どうするつもりなのだろうか?
マサル「オレなんかもっともっと勉強してなあ チエと同ンなじ中学なんか行ったれへんからな」(第61話)
マサルの母「特にうちのマサルの場合私立の中学に入れようと思っているでしょ そんな時 ペチャクチャペチャクチャ」(第102話)
マサル「オレもおあかんのとちゃうか もお死ぬまでチエの顔見たら…」
タカシ「ほんならもお チエに会わんようにしたら…」
マサル「ほんなら オレもお死ぬまで学校行かれへんど」
マサル「オレ チエのために中学も高校も行かれへんのか」(第134話)
小学5年生のマサルは家庭教師に塾に絵画教室に剣道にと、既に母親の管理教育の下でかなり余裕の無い生活を送っている。だがその生活云々以前に最も苦心しているのはひょっとしたら私立の中学へ行くかどうか、という事かもしれない。
マサル「オジさんの近所にかしこいモンの中学があるからなあ」(第61話)
マサル「ガンバレとかしっかりせえとかゆうたらよけおかしなるんやど」
タカシ「誰がそんなことゆうてん」
マサル「親戚の医者や お母はんと話してるとこ聞いたんや」
タカシ「ほんならマサルずっとその親戚におったんか」
マサル「そおや そのオッちゃんやさしいから思て行ったのに」(第134話)
マサル「オジさんものすご勉強えらぁて ほんでものすごええ会社入ったのに」
(中略)
マサル「今オジさんから電話があって オジさんが新人文学賞とったんや」
マサル「やったやった オジさんがやったんや」(第405話)
マサルの「オジさん」と「オッちゃん」という使い分けから察するに入学予定の学校はどうやら「オジさん」の家の近所の(私立の?)中学校だろう。そしてこの「オジさん」というのはマサルの母の弟の逆根良夫のことだ、彼は「花井拳骨論」を書いて賞をとったのだが、マサルの様子だと尊敬しているようにも見えるのだ。
ともすると、マサルは将来作家を目指すかもしれない。考えてみればそうだ、チエを圧倒する口撃手段といえばホラーじみた「作文」だ。そして彼のその文才は第302話の小鉄とジュニア会話を見ればよくお分かり頂けると思う。
母の管理教育と自分の自立心、第272話の一節を借りるならば「マサルの中の世界大冒険全集と母親のこれでもかとゆうおしみない愛」のジレンマを抱え、そのストレスのはけ口としてチエに悪口を言う。そして異常なほどの対人意識もその一つかもしれない。
マサル「だいたいチエが居れへんかったらオレなんか メチャメチャ勉強に集中してもう今頃……」(第110話)
メチャメチャ勉強に集中してもう今頃、母親のいいなりの勉強マシーンになっていた、とでも言いたげなこの発言、ここから察するにチエが居るから現状を維持できるのだ、ということをマサルは分かっているのだろう。
チエ「……一人で生きれんゆうのも困ったもんやな」(第623話)
このチエの発言で更にもう一つ、母親の「おしみない愛」から抜け出し、「自分の思うようにやりたい」という自立心のためにまた誰かが(この場合はチエが)必要である、という新たな板ばさみ状態に陥っているようにも思える。ただ私はそれでもいいのではないか、と思うのだ。
ヨシ江「チエも大人になったら分かるやろけど…一人で生きてゆけるなんて思ってると辛抱せなあかん時に辛抱がきかんようになったりもするんよ」(第4話)
がんじがらめの生活にいくら不満やプレッシャーを抱えてもマサルは現状を理解しているのではないだろうか。
そういえば「大人になったらマサルに逆エビかけるんやろか」と言うチエちゃんに対して、ヒラメちゃんの語る将来像に同級生が出てこなかった。マサルの場合はどうだろうか?
マサル「大人になってオレが悪口ゆうても笑うだけなんて…オレはどおなるんや」(第206話)
恐らく、有名なセリフかと思われる。大人になってチエに悪口を言えば逆エビをかけられるのではないだろうか…?
だが連載が終了してしまっているため、全ては有耶無耶に。彼らがこの先どうなるかは作者のみぞ知る、といったところである。(勝手ながら、この場を借りて個人的にマサルにエールを送りたい。「ガッツやガッツでゴーしちゃうんや!マサル!」)
ここまで本筋を豪快に逸れてヒラメちゃんやマサルの事をつらつらと述べてきましたが、当サイト内で発表されている、以下の論文を(誠に勝手ながら)参考にさせて頂きました。
また、これらの論文を読まれたことがない方、ヒラメちゃんやマサルのことに関して認識が変わるやもしれませんし、とても丹念に書かれていて大変興味深い内容になっています。是非とも一度読んで頂けましたらと思います。
では本筋に戻り、「チエちゃんの将来像」の項で話半分だったチエちゃんの結婚について、締めくくりの意味も兼ねてこちらで続きを述べさせてもらう。
テツ「お母はん ワシ なんでこんな格好せなあきませんねん」
テツ「ここでチエと結婚式でもやるんでっか」
チエ「テツはウチのタイプとちゃう」(第42話)
里子「だってチエちゃんのお父さんは チエちゃんのお母さんが選んだ人だもの」
チエ「あ…あの……その選んだ人ゆうのは…」
チエ「サッちゃんのお母さんとウチのお母はんが似てても お父はんのタイプは全然違うから」
里子「でも…」
チエ「選んだなんてゆうたらウチのお母はんの見る目がその……」
チエ「結婚てその…意外とカン違いとか もののはずみってことが多いんじゃないかしら」
里子「え…!?」
チエ「わたしたちも気をつけましょうね」
里子「…………」(第577話)
朝子「そうよ…おつき合いだと思って」
朝子「めんどうなつき合いは全部主婦の仕事になっちゃうんだから」
朝子「ヨシ江さんだって喜んで行ったんじゃないでしょ」
チエ「う…うん どおかな……」
朝子「きっとテッちゃんとのことで つき合いだからしょうがなく行ったのよ」
朝子「主婦って顔で笑ってココロで泣くのが仕事なのよ」
ヒラメ「うっ」
チエ「ウ…ウチら主婦やめよね」(第654話)
はてさて、「テツはウチのタイプとちゃう」「ウチのお父はんのタイプは全然…」と言っている点だが、前者はチエちゃんの好みの男性のタイプという意味で、後者は人の性格や人間性という意味で捉えていいだろう、チエちゃんは好きな男性のタイプは語ろうとしないようで、よく口にする男性論はどちらかというと男にどれだけ絶望しているか、といったことだろうか。朝子との会話の中で、ヒラメちゃんが額に汗を流してショックを受けているようだったが、チエちゃんの「主婦やめよね」という言葉は果たしてヒラメちゃんへのフォローのつもりなのか、本当に「結婚」そのものを諦めているのか…
『じゃりン子チエの秘密』Q19の最後にこうある「もしチエが結婚するとなると婚約者は命懸けである。テツは夫となる人物をどつき倒すか、ひょうたん池にコンクリート詰めにして沈めるかもわからない。」「チエにとっては可哀想なことだが家出をしないかぎり女の幸せは来ないのである」と。
う~ん、仮にチエちゃんが結婚したなら、まずチエちゃんは旦那さんがテツに殴られないように注意を払い、尚且つテツと同居かそれに近い形で接しているであろうことからヨシ江さんとともにテツを養い続ける。旦那さんは自分の嫁さんであるチエちゃんを食わせるためにテツに殴られようとも働く。テツはチエに下駄で殴られようがおバァはんに無人島に連れて行かれようがチエちゃん夫婦を別れさせようと意地でもちょっかいをかける…
そもそもテツとヨシ江さんは相当よくわからない夫婦だが、更にもう一組よくわからない夫婦が誕生するのでは、と思う。
同級生以外にも大人や一つ年下のコケザルと、幅広い交友関係を持つチエちゃん。
それほどまでに他人を引き寄せる魅力があるのだろうか?
チエ「オッさん今日店だしてるの?」
菊崎「そうや ワシらの稼ぎ時やからなあ」
菊崎「オレ テッちゃんに相撲始まるまでケイコに来いゆわれたんやけど」
菊崎「カルメラ焼かんと生活でけへんからなあ」
菊崎「テッちゃん ケイコもせんとカルメラ焼くような奴はカスやいいよるねん」
菊崎「そやけどワシ生活守るのが先や思うねん ワシまちごうてるかなあ」
チエ「子供になに聞いてるねん」(第32話)
チエ「ほんならオッちゃんもテツに負けて就職できんようなったん」
ワイルド蛮地「まだクビと決まったわけやないから」
ワイルド蛮地「それで今日会長ともおいっぺんよう話して…」
テツ「お前ガキになんの話しとるんや」
テツ「チエに人生相談してどおするんじゃ」
ワイルド蛮地「……そうですね この方 包容力があるような気がしたもんやから」
チエ「…なんのこっちゃ」(第88話)
チエちゃん自身はよく分かっていないのだろうが、テツにノバされた元プロボクサーのワイルド蛮地の言うように、チエちゃんの「包容力」こそが人を引き寄せる魅力なのだ。
細かく例を挙げるとキリがないが、体調を崩しているマサルの悪口ノートを受け取った(第28話)こと、百合根がアントニオの剥製を探すのに協力した(第57話)こと、テツの同窓会に出席したがらないコケザルのために嫌々ながらもコケザルと出席すると決心した(第83話)ことなど、思い出せるだけでも結構ある。他に例を挙げると…
チエ「マサルみたいに有利なことでしゃべろと思たら簡単なんや」
チエ「ウチらはいつもマサルのペースでしゃべってるけど いっぺんウチの有利なことばっかりでしゃべったろか」
マサル「おい 帰ろ」(第169話)
チエちゃんは普段からマサルのペースに合わせて話をしているようだ。考えられる理由としては「悪口がノドにつまって息ができんようになるんやど」と言うマサルのためを想ってか、あれだけマサルに悪口を言いたい放題言わせるのも「包容力」の成せる業なのかもしれない。
ただこの「包容力」もちょっと考え物で、良く言えば「広い心の持ち主」「母性的」などと思えるのだが、悪く言えば「頼みごとを断らない奴」「頼めば後はなんでもやってくれる」と思われかねない。
テツ「ワシなんかほんまは強烈にカンええんやど」
テツ「そやけどあんまりカン働かすと不幸になるから知らんふりしてるんや」
ヨシ江「…………」(第175話)
テツの言うように知らんふりをしていれば厄介事に巻き込まれる数は極端に減ると思われるのだが恐らくそれは無いだろう、何故ならチエちゃんは困っている人をほっておけないタチだからだ。ひょっとすると「日本一不幸な少女」だと言う原因はココにあるのかもしれない…
大人顔負けの活躍をするチエちゃん、本来なら周囲の大人がやるべきことを自ら率先して行う。この行動力は大変素晴らしいのだが、同時にどうしても不憫に思えてならない。
次のヨシ江さんと拳骨の会話をよく見てもらいたい。
拳骨「そうゆうたらワシ この前チエちゃんに負けたもんなあ」
ヨシ江「チエ センセにまたなんかいいましたか」
拳骨「いやそうやない ミルクや! この前のミツルのお祝い」
拳骨「ミツルが子供出来たゆうもんやからワシ 気ィきかしたつもりで グレープフルーツ持って行ったんやけど」
拳骨「チエちゃんテツにミルク持たしよったんや」
ヨシ江「……あの子えらい気のきいたことして……」
ヨシ江「そやけどわたし…時々ああゆうことに気のまわるチエがかわいそうになりますわ」
拳骨「………」
ヨシ江「あの子の時分はそんなことに気がつかんでも もっともっと楽しいことが一杯あるんやないかと思て……」
拳骨「……むずかしいとこやな」
拳骨「そやけど子供らしいないとはいえんやろ 子供やから気がついたらすぐに出来たことや」
ヨシ江「……」
拳骨「こっちの心配だけでチエちゃんはそうするのが楽しいのかもしれん……」
ヨシ江「人のことより自分のことでもっと楽しんでくれたら…」(第71話)
チエちゃんを不憫だ、とするのは私の勝手な解釈ではあるが、チエちゃん本人からすれば、拳骨の言うようにそうするのが楽しいのかもしれない。
チエちゃんの生き方はこの先も変わらないのだろうか、中学生になり、洋裁を覚え、高校、大学、または社会に出て、結婚をして、子供ができて…
これからこの先も、自分のことよりも他人を優先して生きていくのだろうか…
自らを「日本一不幸な少女」と言うチエちゃんだが、よくよく思い返してみれば自ら「幸せになりたい」と願うことがない。(私が見落としているだけかもしれないが)それらしい発言は単行本を全て見返しても次の一言だけだった。
テツ「ワシもおこれからはええことがないような気がするんや」
チエ「テツがええことないとゆうことは今度はいよいよウチらがシアワセになる番や」(第183話)
とはいえ、これはテツの考え方の影響ではないだろうか。
テツ「世の中にはしあわせな奴が居ったら 必ず不幸な奴が居るんや」(第572話)
テツ「誰か喜んでる奴が居ったら 必ずどっかで誰かが泣き見とるんじゃ」
菊「うーん…なかなか現実的なええ意見だす」
菊「そやけどテツがゆうとまちごうてる」(第335話)
テツとヨシ江さんとチエちゃんと、おバァはんとおジィはんも含めて皆で初詣へ行ったとき、お賽銭を入れてチエちゃんの願ったことは「お父はんとお母はんがうまいこといきますよおに」だった。その年の一番の願い事がこれだったのだ、ひょっとすると…いや、それは後々述べるとして、次のチエちゃんとおバァはんの会話もみてもらいたい。
チエ「親とか子とかそおゆう一銭にもならんこと考える前に 目先の金もおけとく方がシヤワセの近道やてテツがゆうとった」
菊「そらまぁ考えたら絶望しかなくなる話でっけど」
チエ「とにかくみんな帰って来たらものすご忙しなるから 今から昼寝でもしてスタミナつけといた方がええで」
菊「そんなにもおかってますのか?」
菊「なんか福の神みたいな客ですな」
チエ「ウチ今まで店ジャンジャンもおかったらええなぁて思てたけど」
チエ「こんなに もおかって また もおけるために昼寝だけしてる生活なんて…」
チエ「シヤワセっていったいなんなのかしら」(第224話)
と言っていることから、店の上がりが良いからといって必ずしも「シヤワセ」というわけではないようだ。「幸せになりたい」と願うよりもまず、自らの幸せを実現するのに必要なことが別にあるということだ、それは恐らく初詣の時に願ったことそのものではないだろうか。
チエちゃんは、チエちゃんを取り巻く周囲の人間の、何を見て、何を学び、何を思い、何をするのだろうか?
まず、チエちゃんの言動の基準は自分の信頼のおける人間からの言葉であるようだ。
例をあげてみよう。
チエ「あんたはものすごい不良やけどそうゆうとこがええとこや お母はんがそないゆうとった」(第28話)
チエ「そやからテツが周センセのとこに行くようやったら」
菊「ケンカ…大ゲンカするようにすすめますのか」
菊「そやからゆうてわたいがテツにケンカすすめたり…」
チエ「花井のオッちゃんがそぉゆうたんやから」(第322話)
拳骨「よー ヒロイン」
拳骨「聞いたど 二人共主役に決まってえらい張り切っとるそうやないか」
ヒラメ「チエちゃん……」
チエ(誰が張り切ってるねん)
拳骨「楽しみやなぁ どうやセリフは全部覚えたか」
チエ「人の不幸喜んどったら自分もそうなるておバァはんゆうとったで」(第110話)
例外として、テツの言うこともたまにこの基準内に入るようで、前項で引用した「シヤワセへの近道」論などがそうだ。テツの言葉は時として真理をつくことがあるが、普段のくだらない言葉はあまり本気にしないことから、チエちゃんは状況をよくみて必要な言葉を覚えておくというクセが既に身についているようだ。百合根の言葉を借りれば「手ェ抜いて要領よう仕事させたら抜群やな」(第447話)といったところだが、要点だけは外さないのだから本当にしっかり者なのだ。
チエちゃんは大人の言うことを素直に聞いて、その通り行動するだけだろうか?
周囲の人間の行動を見て、普段学んでいる経験から間違いを起こしている人間には相手が誰であろうとキチンと注意をする。
タカシ「とにかくオレ家に帰らんと…」
チエ「一人で帰ると道に迷うど」
ヒラメ「ん!? やっぱり主役はサエたことゆうなぁ…」(第206話)
ヒラメ「そやけどマサルはけっこうタフやな」
チエ「そおやな朝階段から三回落ちて昼にはまた豚汁と一緒に階段から」
チエ「それでもけっこおピンピンしてるもん」
ヒラメ「甘ァ見たらあかんな」
チエ「うん マサルは根性がないだけやねん」
(中略)
マサル「そやから普通の奴やったら死んでるゆうたやろ オレは根性で頑張ったんや」
マサル「おまえ本読めへんから知らんやろけどなあ」
マサル「織田信長に焼き殺された坊主なんか 根性出したから火ィなんか涼しいゆうたんやど」
タカシ「そんなん人間と違うやん」
マサル「オレこんな目に会うたからテツの捜査出来へんかったけど 服着がえたらすぐ捜査始めるど」
タカシ「マサルは根性あるなあ……」(第160話)
普段、嫌っているはずのマサルやタカシについても表面だけに囚われず内面をしっかり把握して発言しているものと思われる。(また、この引用したセリフ内でのチエちゃんの言うところの「根性がないだけやねん」は『サディスト・小林マサル』内で「マサルにはまず愛を見つけてほしいわ」について論じている部分と近い解釈で捉えられるのです。第178話でチエちゃんがコケザルとテツに言っているように、チエちゃんの中では「根性」という言葉にはいくつか意味があり、状況によって使い分けている節があるためです。)
チエ「それからおバァはん 客のあつかいはもうちょっと気ィつけたほうがええで」
チエ「さっきみたいなこと しとったら客がおらんようなるわ」
チエ「客は店選べるけどな 店のモンは客選んだりでけへんねん」
菊「スンマヘン わたい一から出直させてもらいます」
菊「こたえたなあ…… 当ってるだけにたまりまへんな」(第36話)
拳骨「おいどうした 健康優良児」
チエ「オッちゃん 昔センセやってたんやろ」
チエ「ほんなら少女を傷つけるようなことゆうたらあかんのとちゃう」
拳骨「……ワシほめたつもりやけど」(第74話)
しかし、大人が相手の場合は特に手厳しい。この違いはなんだろうか?
チエちゃんはヨシ江さんのことをクジ運の悪い女だと思っている点、サッちゃんに対して「結婚てもののはずみってことが多いんじゃないかしら」「わたしたちも気をつけましょうね」と言っている点から察するに、自分を教え導くべき大人なのだからもっとしっかりしてほしい、人生の道を踏み外したくない、という気持ちの表れなのではないだろうか。
チエがホルモン焼き店を経営するのにはいくつもの理由があるようだ。
チエ「そやけどお母はんも働くしうちも働くし なんか金持ちになりそうやなあ」
ヨシ江「チエ あんたはもう店やめた方がええよ お母はん働くんやから」(第17話)
チエ「そやから普通テツみたいなん居ったらもう家庭は全滅してるやろ」
ヨシ江「なにゆうてますねん」
チエ「そやけどウチ時々お母はんとウチら人間の力だけで踏んばれてるとは思われへん時あるねん」(第190話)
ヨシ江「帳面のことなんか気にしてんとチエもすぐ用意して学校行きなはれや」
チエ「気にせんとゆうけど これを気にせんとなにを気にするんや」
チエ「お母はんウチが店やってるの趣味と思てるんやないやろか」(第198話)
チエ「今日も も一つやったなぁ…」
ヨシ江「…いつもこんなもんですやろ」
ヨシ江「忙しなったらまた大変ですがな」
チエ(アマチュアなんやから………)
チエ「とにかくあとはおバァはんに期待するしかないわ」
ヨシ江「お客さんの出前ですか」
チエ「うん… うまいこといったら明日から大繁盛するかもしれんねん」
ヨシ江「大繁盛て… あんまりそんなこと考えんでも」(第427話)
ヨシ江さんの口振りから察すると「チエちゃん」の収入抜きで生活できるようにも思えてくるのだが、チエの口振りでは店の収入抜きでは生活していけないようにも受け取れる。そして重要なのはチエは趣味で店を経営しているのではない、という点だ。
生活費などの金銭面云々以前に、ヨシ江さんとテツとチエちゃんの「生活の場」としてホルモン焼き店が必要だから、というのが私の意見だ。(何を当たり前な!と思われるかもしれないが)
毎日出歩いてブラブラしているテツがいつでも帰ってこれる場所として、家族三人が川の字で寝れる場所として、そしていつかは家族揃って働ける場所として、チエちゃんはホルモン焼き店という形態を維持したいのではないだろうか?
第745話でチエちゃんがヨシ江さんに頼んで髪を短く切ってもらったのだが、そんなに短くする気がなかったチエちゃんはその日、気疲れからコタツで眠ってしまう。
その眠っているチエちゃんの短い髪をみて「ドングリみたい」と言っているテツの表情はなんだかとても幸せそうに見える。
チエちゃんはひょっとしたらこういった家族団欒を求めているのではないだろうか…
チエちゃんは初詣で「お父はんとお母はんがうまいこといきますよおに」と願っていたが、更にその先を願い、望んでいるとしたらどうだろう。そこにチエちゃんの「幸せ」があるのではないだろうか?
店を経営することは生活費を賄う上でとても重要だろう、ヨシ江さんの収入だけで暮らすのが心もとないから、とも考えられるし、その方が現実的だ。
ある時、チエちゃんが現実とは全く違う、ウソの作文を書いて賞をもらったことがある、それも一生懸命書いたウソの作文だ。
ウソの作文で賞をとってしまい、更には盛大な発表会まで開かれることになり、すっかり気持ちの沈んでしまったチエちゃんに担任の渉はこう言った。
渉「読めば分かるんだよ 真剣に書いたかどうかってこと」
チエ「そやけどやっぱりウソやから」
渉「チエちゃんはそうはなりたくないのかい」
チエ「そらなりたいけど今はちがうから」
渉「今はちがうからウソなのか 先生はそうは思わないな」
渉「大切なのはチエちゃんの気持ちを正直に書くってことなんだ」
渉「あの作文でチエちゃんは少しもウソなどいってないんだよ」
渉「さあ元気だして ウソを書いて金賞などとれやしないんだから」(第21話)
恐らく渉が見たであろう、ありのままの作文をよく読んでもらいたい。
チエちゃんの行動の全ての理由が、動機が、切に願う気持ちが、切実な想いが、この中に詰まっているような、なんだかそんな気がするのだ。
「ウチのお父はん」
西萩小学校 五年二組 竹本チエ
ジュージュージュージュー ウチの家はいつもこんな音でいっぱいです
どこにいても ジュージュージュージュー
この音はホルモンを焼く音です ウチは生まれた時からずっと この音を聞いてきました
それはウチの家がホルモン焼屋だからです
ジュージューの音が聞こえる間ウチはお父はんに会うことが出来ません
お父はんはホルモンを焼くけむりの向う側に行ってしまっているからです
店に来るお客はお父はんの焼くホルモンをおいしい おいしいといいます
それはタレのつけこみ方がよその店とちょっとちがうからです
お父はんは店を手伝うために子供の時からおバアはんに教えられたのだそうです
ウチも早くそれを教えてほしいと思っています それをおぼえれば店を手伝えるからです
ウチはお父はんと一緒に店がやれたらどんなに楽しいかなあと よく考えます
ウチはお父はんと一緒に店がやりたいのです
早く焼き方をおぼえてお父はんと一緒に店をやりたいのです
……お父はんと一緒にホルモンが焼けたら
……早くお父はんと一緒に……
これはウソです
ウソだけどこうなりたいと思います
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